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2002.10.08

手と顔の対話覚え書き

■「手と顔の対話」への覚え書き

 哲学者鷲田清一さんは、『顔の現象学  見られることの権利』という本の中で次のように述べておられます。

「わたしはわたしを見つめる他人の表情を読むことによってしか、自分の顔を想像できないし、また想像することによってしか自分の顔に近づけない。」

 ぼくは、見えないという立場からこの一文を読んで、とても衝撃を受けました。ぼくには鏡が見えないということが、致命的だと思っていました。ところが鷲田さんに言わせれば、本当の顔は誰も見ていない。対面している相手の顔の反応を見ながら、自分の顔を想像しているんだと言います。たえず変化しつつある顔を鏡では捕らえきれないし、自分自身の目で自分の顔を、見ることは不可能だと言うのです。

 ということは、ぼくのおかれている状態はそんなにも見える人とはかけ離れてはいないことになるわけです。なぜなら、ぼくは相手の顔が見えないので、その他の情報、つまり声や話し方をひとつの鏡として、同じようなことをしているんだなあと思いました。

 しかし、ここで決定的な違いは、ぼくには対面しているあなたの顔が見えないということです。

 患者さんの背中や腕、腰・膝などは、治療のポイントとして、あるいは、症状を観察する対象として、触りなれてきました。
 しかし、その触り方は、いかに早く違いを察知するかであり、治療ポイントとしてのつぼ/経穴を見つけるかでした。
ましてや、顔面や手首から先の手をじっくりと触ることはほとんどありませんでした。
一番長い時間をかけて触っているのは、自分の顔ですね。これは、誰にもいえることです。
恋人の顔であっても、我が子の顔であってもそんなに長く触り続けた憶えはない。
表情の変化を触りながら見分けるという経験もない。
だから、彫刻として作られた顔の表情を触って読みとるのもなかなか難解なことでした。
 身近にありながら、もっとも遠い存在。
それが、ぼくにとっての他者としての「顔と手」なのです。
 今回、あえて顔と手をじっくり触らせてもらおうと思った背景には、そのようなことがあります。

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