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2003.02.24

光のぬくもりを感じてより

 2月23日の「美術館へ行こう!!」に参加してくれた人に『光のぬくもりを感じて』の絵を言葉で感じてもらうために次のような詩を描きました。会場で朗読したものを掲載します。

【光のぬくもりを感じてより】
中原中也の詩に
『冬の長門峡』というのがある。

 ちょーもんきょーに、 みずわ ながれて ありにけり。
 さむい さむい ひなりき。

われわ りょーていに ありぬ。
 さけ くみて ありぬ。

 やがても みかんのごとき ゆーひ、
 らんかんに こぼれたり。

 ああ!  -- そのよーな ときも ありき、


スタークラブというスナックで
友人がぼくに
「ホワイトのボトルに、なに描こうか?」
と聞く

「みかんのような夕陽を描いて」
とぼくが答える

そのころ、ぼくはまだ絵を描いていなかった


大学生の頃、一人旅をした
なにかを捨て去るための旅のはずだった

瀬戸田のユースでは
茶わんを作ってはつぶし
作ってはつぶしして
二日間過ごした

山口に向かう列車で
知り合った大学生
彼のバイトを手伝って
風呂屋のタイルを磨いた

彼は、障害者の介護をしていた
都会のすさんだ障害者運動から遠ざかるつもりが
土のぬくもりのある
運動に出会った


津和野のユースに向かう列車の中で
知り合った女性
話しているうちに
点字の『中原中也詩集『を
読み聞かせることになった

津和野の町を一緒に歩いた
そして、それから
一人でぼくは長門峡へ向かった


一人で橋を渡り
谷間に入っていく
左側には山が
覆いかぶさるような圧迫感でそびえていた

右側には谷が
抜けるような感じでどこまでも沈んでいた

そういえば、あのときもカラスが鳴いていた


子どもの頃
夕陽を見た記憶がある
まぶしくて目の中に入りきらず
涙になったが
光のぬくもりは覚えている

みかんのような夕陽は
見ることができなかった
くやしいので
この壁に描くことにした

夕陽は、カラスを貫き
木を貫いて
地面に突き刺さる

木は、ぼくである
カラスはぼくだ

そして、太陽はぼくではない
光はぼくを貫いている
しかし、ぼくは夕陽に向かって飛ぶ

光を見ることはできないが
光を描くことはできるかもしれない

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