ソウルで取材を受けた朝鮮日報の記事
ソウルで取材を受けた朝鮮日報の記事がウェブ上で見られます。
、この記事を今回ソウルでお世話になった難波幸司さんが翻訳してくれたものを、以下に記しておきます。
http://www.chosun.com/se/news/200510/200510260265.html
内容を見ると、所々事実と違うところがありますが、まずまずの記事ではないかと思
います。
・・・・・・・・以下朝鮮日報記事・・・・・・・・・
‘全盲の美術家’ 光島貴之
2005年10月26日 夕刊
記事;リュウ・ジョン
写真;キム・ヨンフン
(目をつむって他の作家の作品を触っている写真についたキャプション)/
指先で隅々まで触ることで世界のシルエットが闇の中でゆっくり現われる。そこに
‘想像’という模様を刻む
光島貴之(51)氏の絵を見るとパブロ・ピカソを思い出す。横顔の向こうに隠れた一方
の目が鼻の横に捉えられていて、ワイングラスの丸い底はグラスの下にタイヤのよう
にくっついている。様々な角度から見た事物の模様を平面にそのまま広げたパブロ・
ピカソのキュービズム技法を模倣したのだろうか?
光島氏は“パブロ・ピカソを見た事がない”。先天性緑内障を患い0.02の視力で目の
前の世の中だけを見てきた後、10歳で視力を完全に失ったからだ。遠近や影がない
彼の絵はたびたび‘パブロ・ピカソみたいだ’という声を聞く。
視覚障害者のための‘指先で見る展覧会(20~26日)’に参加するためにソウルを訪れ
た光島氏に会った。光島氏は 98年日本長野アートパラリンピックで立体部門大賞を
受けた後、アメリカ、サンディエゴの展覧会(2004)に参加するなど現代美術界が注目
している美術家。
(‘森’の立体コピーの前で撮った写真につけられたキャプション)/
光島氏が‘森’というタイトルで発表した絵を立体コピーしたもの。森を想像しにく
く直接触って見た幹、根、切り株、木の葉を描いて集めた
国内で視覚障害を持つ美術家はいない。口と足で絵を描く画家は多いが、全盲の画家
は知られていない。視覚障害者のための美術教育の不在のせいだ。日本では 30年前
から市民団体と一部美術界で視覚障害者のための‘触る絵本’の運動を継続的に展開
している。‘触る絵本’は視覚障害者のために布切れ, テープ, 玉など質感ある素材
で作った立体絵本だ。 おかげで光島氏のような美術家が誕生しえた。
見れないのにどうやって描くか? 目をつむって何でも描いてみれば少しは理解し易し
くなる。見る代わりに触らなければならないし、色はただ想像しかできない。描いた
線をつなぐのが難しいし、遠近と大きさに対する空間感は漠然としてくる。
光島氏はそのやり方ですべての感覚を動員して感じたそのまま絵を描く。彼の絵は木
やその他の模様の具象画になったり、凉しい風や水音を表現した抽象画になったりす
る。絵の具代わり触ることができるカラーテープや紙を使う。色を読んでくれる機械
は色の選択を手伝ってくれる。
“君は本当に絵が下手だ”
幼い光島氏は常に冷やかしを受けた。1m前がやっと見える彼の絵は歪んだ線が行き
交っていて、写実的なものが芸術だと感じられる子供達にとってはこっけいに見えた
ようだ。その後、絵が嫌になった。‘すべてのものを触って見なさい’と外で遊びま
わらせてくれたお母さん、“すべてのものを両手で感じなさい”と教えた盲学校の先
生のおかげで視覚に劣らない指先の感覚を持つことになったが、絵は相変らず遠かっ
た。図緑はつるっとしていて何も感じられないし、作品は進入禁止のマークにより閉
ざされていた。
(‘赤い目’の写真につけられたキャプション)/
口や耳、頬骨、力強い曲線が軽快だ
(‘アベック’の写真につけられたキャプション)/
光島氏が自分の手を引いてくれる人の歩調に合わせて歩く姿を表現した
(‘缶コーヒーを飲む’の写真につけられたキャプション)/
缶コーヒーを飲む手と口、蓋がひらいたような缶
普通の視覚障害者がそうであるように光島氏も鍼灸師になった。大学卒業後、一般の
学校教師になりたかったが、現実は厳しかった。鍼灸院の運営を始めた二十八歳のと
き、東京のある展覧会で‘触る絵’に出会ったのは幸運だった。‘美術観賞’という
趣味が一つ生まれたからだ。
10年間作品を触って感じるということばかりしてきた。この世に存在する形状と感情
を表現する方法を身に付けようとあせることはしなかった。そして92年、視覚障害者
のための一ワークショップで粘土でピーマンの模様を作ってみたことをきっかけに粘
土造形を始めた。‘独特だ’‘おもしろい’という評価を聞けた。イギリスの全盲の
彫刻家フラビオ・ティトロにヒントを得て製図用テープで絵を描いたのはそれから3
年後。テープは鉛筆とは違い絵の凹凸がそのまま残っているので、描いた跡を触って
把握できる。
頭では否定していても、胸の中で常に隠し持っていた光に対するあこがれ。皮肉にも
彼は作品で評価を受ける美術作業を通じて劣等感を忘れるようになった. “見えない
ことも一つの文化だ” 誰も描くことができない絵を描くことができるからだ. 彼は
そのふたつの文化を疎通させるために力をつくしている。一般人はアイマスクを使っ
て絵を描いてみる体験をし、光島氏は彼らが描いた触覚絵画を通じて見える文化に会
う機会を作っていく。“私は常に見られることに慣れています。しかし絵を通じて私
も他人を見ることができるようになりました。他の人々が表現した絵を触りながら、
ある瞬間、私は彼らを見るのです”
・・・・・・・・・記事ここまで・・・・・・・・・・・・
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