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2005.11.07

ぼくは、「美術の中のかたち」とこんな風につきあってきた

兵庫県立美術館の季刊誌『アートランブル第8号』に掲載していただいた原稿です。

■ぼくは、「美術の中のかたち」とこんな風につきあってきた

東京に、さわる美術館「ギャラリーTOM」ができた1984年頃から、美術作品、特にさわれるものを探し求めて、野外彫刻展などを散策していた。美術館にも足を運び、さわれそうな彫刻などをなんとかして手にしたいとあせっていたが、館のハードルは高かった。イサム・ノグチの石彫を、白い手袋をして京都の近代美術館でさわったのも、御堂筋の道路沿いに設置されたボテロの『踊り子』を木枯らしの中でかじかむ手でさわったのもその頃だった。

まもなく、名古屋市美術館や、兵庫県立近代美術館でさわれる企画展が始まった。ぼくは、とてもはしゃいだ気分になってそれらの展覧会を訪れた。いまでも覚えているのは、92年の「美術の中のかたち」だ。田中昇さんの石の作品をさわって、その印象を文章に残していた。ぼくは、見えないということにこだわっていた。拙文を紹介しながら、その当時を振り返ってみたい。

■手の中の虹
館内には、小学生の団体が来ていた。

ぼくが、気にいった『虹』という石の作品をゆっくりさわっていると、小学生らしい団体がガヤガヤと入ってきた。
「さあ、みんなさわって、さわって」
という指導員らしい人の声にはあっけにとられてしまったが、暫くしてその中の2、3人がぼくに近寄って来て、子どもどうしでなにやらヒソヒソ話をしている。

まもなく、その中のひとりが、「なにしてんの?」とぼくに問いかけた。
「見えへんからさわってるんや」
なんとか、そう答えてみた。子どもの素朴な質問には、即座に答えるのが難しいものだ。あっけにとられて、思いが言葉にならないうちに、その場面がすぎさってしまうこともよくある。(中略)

今度は、「これ、なに書いてあるの?」と、点字のキャプションのことを聞いているらしい。「これはね」と指で読み聞かせていると、次は、「これは?」と、どうも活字の文章を読めと言っているようだった。
「これは、おっちゃんには読めへん」と言うと、
「見えへんの、かわいそうやなあ」と返してきた。これはたいへん、見えないのが“かわいそう”なんて思われては、ぼくが“かわいそうな人間”になってしまう。あわてた。(中略)

ぼくは気をとりなおし、もう一度この『虹』をしっかり手の中におさめ、頭の中で形を再現できるまでさわり続けた。冷たくて気もちいい、石で作られた虹の橋をたどっていくと、雨に出会い、さらに上へ手を伸ばすと、雲が手にさわれる。
子どもの頃、みんなが「虹が出てる!」と言っているのを聞いて、虹の方向を一生懸命見ようとするのだが、なんとなく見えるような気もするけど、本当には見えていなかった。その時に見えなかった虹を、ぼくは手の中に包み込んで、ほっとした気分になって美術館を後にした。

当時、美術作品はぼくにとって、ひとつの安らぎであったのかもしれない。しかし、「安らぎ」なんて言葉を、頑として拒絶していたので、美術こそ、新しい価値観をぼくの中に持ち込んでくれるものと信じていた。そしてそれは、半分ぐらい真実だった。

最近は、見えなくても、文字による情報は、かなり入ってくるようになった。コンピュータの発達により、パソコンが文字を読み上げてくれるようになり、テキストデータのやりとりには苦労しなくなった。しかし、画像情報は圧倒的に不足している。そういう感覚的な部分で、新しいもの、自分の生活経験では得られないものを、吸収していく手段が視覚障害者には少ない。だから、こういう美術展に出かけて、かたちのおもしろさに触れたり、コンセプチャルな表現に出会うのは、とても重要だ。

あのときさわった「虹」のかたちは、ぼくの中に染み込んでしまったように思う。その水脈は、いまのぼくの描く大きな作品の根底に流れているのかもしれない。

■密かな思い
震災の明くる年、96年、県立千葉盲の生徒作品や、おっとさんの作品などをさわった。ぼくも粘土造形をしたり、ラインテープで描くようになっていた。そして、密かな野心が芽生えた。美術館で、作品を発表できるようになりたいなあ、と思った。そんなこと考えても、無理やなあと思い、打ち消してはみたが、だれにも告げない秘密の野心として存在し続けた。

98年秋、「アート・ナウ ’98ほとばしる表現力−『アウトサイダー・アート』の断面」という展覧会に出品。いよいよ美術館での発表のチャンスだ。しかし、さまざまな障害者の圧倒的な表現力の中で、ぼくの絵は、埋もれてしまっているように感じた。まだまだ、自分の絵のよさも客観的に評価できず、自信もなかったのだ。

このごろ、あのときの「アート・ナウ」で見ましたよ、という話を聞くことがある。見てくれている人は、ちゃんといるものだと改めて喜びを感じる。続けて描いていてこその喜びだ。

■収蔵庫に入る
02年、新築された兵庫県立美術館で、「光島貴之がみる近代彫刻」という展覧会を、「美術の中のかたち」で企画してもらった。収蔵庫に入り、多数の作品をさわった。その中から、ぼくの感覚を呼び覚ますようなブロンズを選んだ。それをモチーフにしてぼくなりの平面を制作した。そして、それらをブロンズと一緒に展示したのだ。

いつかこの展覧会で、ぼくの作品が展示されたらいいなあと思ってきたことが10年越しに現実のこととなった。なんと幸せなことだろう。1人の鑑賞者であるぼくが、作り手となって美術館の箱を満たす役割を果たした。

■空間を埋めるつぶつぶ
今回訪れた「美術の中のかたち」は、「杉浦隆夫『みんな手探り』」というこれまた刺激的な展示になっていた。ぼくは、いつの間にか1人の鑑賞者から作家になってしまい、おまけにこのようなエッセイを書いている。それに伴って、鑑賞の方法もずいぶん変わってきた。美術館巡りをし始めた頃、さわることがすべてだった。しかし、さわれないものも世の中にたくさんあることを実感し、言葉による鑑賞も試みるようになった。なんでもさわれればいいという時代は終わった。さわるだけの企画展は、姿を消していった。

「美術の中のかたち」は、さわるということだけに突出した企画ではないだろう。だからこそ毎年継続されてきたと思う。さわるという感覚が、五感の1つとしてあたりまえに評価され、アートにおいてもそれなりの役割を果たしてほしい。もちろん、美術から遠ざけられてきた障害者に配慮した展覧会であり続けてほしいのはいうまでもない。

最後に、今回の展示の感想を書いてこの文章を終わりにしたい。
さわる企画なので、受付で腕時計や、指輪などを外すように言われるのはあたりまえだが、今年は、ウエストポーチやポケットの中のもの、携帯などもすべて受付に預け、さらに、ポケットにガムテープで目張りをするという厳重な準備が必要なのである。なぜなら、スチロールの粒が服の中に入り込まないように、あるいは、持ち物をプールの中に落としてしまわないようにするためだ。

緩やかなスロープを上り、折り返して下りのスロープを行くと、途中から、水ではなくて、発泡スチロールの粒状の球体がさわさわと足下から増加してくる。発泡スチロールのプールに入るのだ。普通の水のプールでは、見えていないと水の動きが分からない。ところが、このつぶつぶのプールでは、普段は感じられない水の動きがぼくにも分かる。進む前方のつぶつぶが盛り上がり、背後のつぶつぶが低くなっていくのがさわって分かるのだ。水の動きも瞬時にはこういう風に見えるのだろうか。

暫く行くと、ブロンズの作品が沈んでいる。どれもさわったことがあるものばかりだ。知るが故のつらさ。ぼくがワクワクするために、財政難ではありましょうが、新しい作品を所蔵してください!!とつぶやいてみた。

そんなことを言っているどころではない。新しい発見があった。ぼくが描いたフォートリエの『トルソ』は、つぶつぶに包まれて、すごくやさしい作品になっていた。ムーアの『母子像』や、関根伸夫の『メビウスの環』などは、その空間の部分、つまり腕と体幹の間や、環の中につぶつぶが充満していて、その空間を意識することができた。

普通にさわっていると、空間にはなにもないので、その存在感は伝わってこない。見えていると、抜けている部分の印象が、ハッキリ意識されるのだろうが、さわっていると、手が素通りして次の部分に飛んでいく。空間の認識があいまいになる。手の滑りをつぶつぶが遮ってくれると、意識を空間にとどめてくれる。

おもしろい!!もしかしたら造形の空間認識を新しいやり方で試してみられそうな気がしてきた。つぶつぶはなくても、ゆっくり手を動かしてみたら、空間を認識できるかもしれない。

(みつしま・たかゆき/美術家)
1954年京都市生まれ。先天性緑内障のため、10歳の頃に視力を失う。
1995年頃から「さわる絵画」の制作を開始し、国内外の美術館、ギャラリーで多数の展覧会を開催している。

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