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2006.03.10

『渡辺荘』を読んで

もう、10年も前に書いた文章を捜し出しました。
「光→徳通信第3信」として発表していた友人との往復書簡の一部ですが、今回のテレビ
「指先で紡ぐ愛」の放映がきっかけとなり、もう少しわかりやすいものにしたいと思い、
訂正、加筆しました。10年前のぼくだということを追記しておきます。

『渡辺荘』を読んで―――光→徳通信第3信より

 徳岡輝信様

福島智の『渡辺荘の宇宙人』は、前から気になっていた一冊です。
タイトルがしゃれていますね。読後感はさわやかでした。点字で3巻を、2日で読み終え
たのですからおもしろかったわけです。
こんなタッチの本を、ぼくも出せればいいなあなんて、密かに思っていたから余計に興味をそそられたのです。

それはまあいいとして、何がおもしろいかというと、ぼくの身体障害者手帳の等級は、1種1級です。まあこれだけから言えば、最重度ということにもなります。
どちらが重度だというような議論をするつもりではありません。脳性麻痺、車椅子障害者とぼくとを、比べたりなどとうていできないけれど、視覚障害に聴覚障害を合わせ持つと
いう彼は、明らかにぼくよりも大変だと思いました。それはかなり想像可能なのです。
ヘレンケラーの物語は、昔英語の教科書で読んでも、ピントきませんでしたが、『渡辺荘』は、自分自身と引き比べながら読んでしまったのです。

 〈私は、“世界”を喪失した〉
というフレーズに、まずやられてしまいました。
彼の失明時期は、ほぼぼくと一致しています。光を失ったときのショックは、あまりなかったと書いています。9才という年齢的な条件もあるのでしょうが、徐々に光を失っていったぼくも、やはりあまりショックはなかったのです。
そして上記の表現は、18才のとき、彼が音を失ったときのものなのです。たぶんぼくも、いま聞こえなくなったら、“世界を喪失した”と叫ぶでしょう。
ちょっと余談ですが、この“喪失感”は、ぼくの“欝”とも密接な関係がありそうなので
、そのうち文章にしたいと思ってます。

 〈登場人物の“俺”は“酒”や“女”や“金”といった願い事をならべているが、
 「目が見えるように」とか「せめて耳だけでも聞こえるように」という願い事がぜんぜ
ん出てこないのである〉

これは、著者の夢を紹介している一節ですが、願い事がかなえられるなら、何がいいかという天使の質問に対する著者の迷いを述べています。
目が見えるようにとか、耳が聞こえるようにという願いは、最初から頭に思い浮かばなかったと言います。

そして、「……盲聾者の世界に生きる人間として、私は、すっかり市民権を獲たようであ
る」と結んでいます。
光や音のない“世界”で生きていくのが、当たり前になったのだと宣言しているように思
いました。

ところがです。このぼくはというと、いまだにそのあたりはふっきれずにいるわけです。
松浦りえ子の『親指P』という作品がありますね。主人公は、全盲の若者です。いや主人公ではなく脇役です。でもその彼が、頭を殴られたか何かのショックで、光を取り戻し、
目が見えるようになるという場面があります。ぼくはその場面を読んでいて、思わず涙してしまったんです。
我ながら情けない気分でした。
右眼は摘出しているし、左眼も萎縮して眼球の役割など果たしていないのだから、いくら
医学が進歩したとしても、見えるようになるわけもないのです。
そんなこと、分かってるはずなのに、よほど見ることに執着しているのだなあとイヤになりました。

少し話題を変えましょう。この間、「モノノケサミット」のライブの後で、飲みに行った
ときのことです。
あなたからの原稿を読んでもらって、暫く飲んだ後、急速にぼくは引っ込んでしまいました。
それは、あなたのせいではありませんから誤解のないように。
この感覚にはときどき襲われます。最近はあまりなかったのですが、憶えている範囲でいうと、大学の頃、クラスコンパでよくありました。

最近では、もう4、5年前、舟橋さんとその友人やはり5人ほどで飲みに行ったときでした。
そのときは映画の話が話題になっていたのを思い出します。だから、話しにうまく入って
いけなかったのですが、舟橋さんは、そのときのぼくの様子を変に感じたそうです。
「どうしたの?」と聞かれても、そのときぼくは、それを認めることはできず、適当にごまかしてしまいましたが……。
なぜこんなことを、グチャグチャ書くかというと、次のような部分を『渡辺荘』に見つけ
てしまったからなのです。

 〈私はこの“世界”に居るけれど、本当は存在していない。
 周囲から私がここに居るように見えても、本当は私の実体はここにはないのだ。
 ……(もう寄宿舎の部屋に帰ろう)……私が感じていた違和感はこれだったのか。
 盲聾の世界は異次元世界であり、この世界とは相いれないのか〉

 〈「暇そうね」 そのとき後ろから肩越しに、手が伸びてきて、クラスメートの一人が
 指点字で話しかけてきた。
 私の内部がパット明るくなった。私の世界に“窓”が開いたのだ。
 窓の向こうにこの現実世界が拡がっていた〉

これは、著者が失聴して間もない頃、体育館で盲人バレーボールを見学しているときのできごとです。
指点字による、1対1のコミュニケーションは確立したけれど、周りの状況を伝えてくれる人がないと、テレビのコンセントが抜かれたようなもので、盲聾者は、心のスイッチが切られて、異次元に閉じこもってしまう。
そんなとき、友達が何気なく指点字で、ゲームの進行状態や、周りでしゃべっている人たちのことを伝えてくれた。
そうした行動が、彼に世界の窓を開いたというのです。

盲聾者は、絶えず努力してスイッチを切られないようにしなければならないし、周りの人
もそのことをよく理解しなければというのが彼の主張です。
たぶんぼくには、そのあたりの努力が足りないのでしょう。みんなで酒を飲んだりして、
ワイワイやっているときに、その場の状況がうまく把握できなかったり、話題になじめな
いと、内にこもって、酒ばかり飲んでいるという状態になってしまいます。
まあ、この間はライブで疲れていたというのもあるし、そんなに気にしているわけではあ
りません。久しぶりに、忘れていたものを思い出して、こりゃあ、なんとかせなあかん! と思って
るのです。

しかし、閉じこもってしまうのには、もう1つ原因があるように思います。
それは、いつも“ちやほや”されていないと疎外感を感じてしまうということです。
障害者であるということで、けっこう話題の中心になることが多いので、その状態に慣れっこになっています。
だから、いつも世界の中心にいないと落ちつかない、という病気に掛かってしまったよう
です。困ったものです。

さらに、読みすすめる内に「結婚」という章に出会いました。
彼は、結婚に幻想は持っていない、と言いますが、どうもそうは思えません。
宗教を持たないという彼が、天理教の教会で式を挙げる。配偶者も信者である。
などなど、妥協を重ねた上での結婚だと思えます。
ぼくが引っかかるのは、やはり自分の結婚と照らして考えるからです。
結婚をして子どもを育てる。こうした普通のことがしてみたい。
これは、抜けがたい俗物根性でしょうが、どうしようもなく付きまとう、みんなと一緒で
ありたいという願望です。

あなたも知っている全盲のAが、披露宴の挨拶で「人並みの父親になれるのがうれしい」
と挨拶したのを思い出します。
ぼくも、やっぱり、一通りのことをとことんしつくして、やっと最近、“あるものとして
の個性”に少しだけ近づいてきたように思うのです。

 この文章を送ってから『アイデンティティ・ゲーム―存在証明の社会学』(石川准)を
、テープで聞き始めます。手がかりとしては、“障害を個性として”とはいうけれど、“
女性性を個性として”とは言いませんよね。それだけ障害者にはアイデンティティーが形
成されていないのではないでしょうか。もちろんぼくにもです。

1996年10月24日
光島貴之

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コメント

A-chan、コメントありがとうございます。
 ジェンダの問題は難しいですね。
逆に障害を持っているから、“男性”を意識しなくていいという場面もあるようです。
最近は、男性を意識させられるような人たちが周りに少ないようなので、気持ちも楽なような気がしてますが……(笑)

今度の展覧会のテーマを“疎外感”とか“ジェンダ”にしようなんて言わないでくださいね(笑)

投稿: 光島 | 2006.03.16 19:33

光島さん、A-chanです。
光島さんが書かれていることで一番印象に残った
のは「いつも“ちやほや”されていないと疎外感を感じてしまう」「いつも世界の中心にいないと落ちつかない」ところです。そうだったのですね。

ぼくも「疎外感」を感じやすいので、なんかわかるような気がします。光島さんの場合「障害を持っていて、男性であること」のしんどさとが二重なっていると感じました。
ぼくはある意味、男性社会で負けた存在ですが、反面そんな男性社会にはついていけないと思っています。
が一方なかなか抜けきれないで引きずっている自分がいます。
男性社会のアイデンティティなんて、所詮脆いものだと最近思うようになりました。
自己のアイデンティティは対抗している中では生まれないでしょうね。
光島さん、おしょうさん、今回の展覧会よろしくお願いします。

投稿: サトクリフ | 2006.03.15 20:33

おしょうさん、なんかいい響きですね。
 コメント、トラックバックありがとうございます。福島さんのことについては、なかなかコメントが付かないので、またまたちょっと難しいことを書きすぎたかと反省していたところでした。ありがとうございます。
舟橋さんとのコラボレーション? 二人展、いよいよ動き始めました。このブログでも準備過程など紹介していきたいと思ってます。ときどき覗いてみてくださいね。

投稿: 光島 | 2006.03.14 19:12

光島さん、こんにちは。おてらハウスのおしょうです。
先日はようこそ。と、いうわけでこのたびおてらハウスサイトにもブログを新設しました。ちょうど福島さんの記事を書いておられたのでリンク記事を載せてみました。
10年前のエッセイも興味深かったです。自分はそれでも視覚を取り戻せるならと思うと言われていたことに共感しました。(今はまた違うのかもしれませんが)

あと、福島さんの本で印象深かったことは、やはり聴覚もなくしてしょんぼりしている時に背中に指文字で同級生が呼びかけてくれたシーンでした。

そういうことで、今後ともよろしくお願いします。(ちなみにトラックバックはちゃんと張れているのでしょうか?何しろ4年以上サイト運営してきても、ブログは超初心者なもので・・)

投稿: おしょう(佐々木) | 2006.03.14 14:18

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