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2006.04.12

帽子をかぶって

散歩や散髪について、もう10年前に書いた文章を見つけました。アーカイブとして掲載します。 それにしても最近は、帽子をかぶらなくなったなあ。 靴は、いまだにスポルディングだ。 髭は、かたちは同じだが、短くしている。5ミリぐらいでそろえる技を身につけた。

■帽子をかぶって

ぼくが帽子をかぶると、どういうことになるか?
似合うかどうか以前の問題がある。“対物知覚”が鈍るのだ。
車が駐車しているのや、太い電柱が1メートルぐらい前からそれとなく感じられる感覚を
「対物知覚」という。もっと分かりやすくいえば、天井の低い部屋に入ったときに圧迫感を感じたり、目をつぶっていても、すぐ目の前に手をかざされたりすると、気配で感じる人がいると思う。先天性の視覚障害者に身に付きやすい感覚のようだ。
顔面の皮膚感覚や、聴覚を総動員して、空気の流れや、音の反響を感じとっているのだろう。
この“対物知覚”が鈍ると、街をスピーディーに歩けなくなる。

こうした感覚にはぼくも優れている方だと思っていたが、さすが41才ともなると鈍ってきた。それなのにここ数年似合う帽子、かぶりやすい帽子を探している。
 ぼくの好きな詩人、中原中也はいつも帽子をかぶっていた、というのを何かで聞いて、ぼくもやってみようと思ったのは盲学校の高校生の頃だった。母親に聞いてみたら
 「そんなもん、にあわへんで」と一蹴された。

中学から高校に掛けて、ぼくはまだまだ母親の価値観を踏襲していた。
本当のこと(見た印象や似合うかどうかなど)を教えてくれるのは、母親であり、父親であり、そして弟だと信じていた。
そういった価値観には、世代の違いや、趣味の違いが入り込んでいる。
しかし、そのあたり、ぼく自身どれだけ意識していただろう。

鏡を見ることができないぼくは、自分の姿をどういう風にして確認していけばいいのか?それはいまも続いている「確認不安」の一つだ。
母親は恋人に変わり、そして妻に変わり、それから……。

最近、造形的な表現を試みるようになったぼくは、周りからどう見られるかだけではなく、こちらから何を表現するのかというところに関心をもつようになってきた。
もう40もすぎてずうずうしくなってきたというだけなのだが……。
 服選びについて書いてみる。色や風合いにこだわる人、趣味のいい人、それらがぼくの趣味にも一致していそうな人を見つけて買い物行く。
しつこく色や雰囲気を聞く。何軒も店を廻る。かなりこだわる服探しである。

買ってからも、いろんな人にそれとなく印象を聞く。
中には酔っぱらって好き勝手なことをいう人もいる。おもしろがってこんな色の服を着たら(似合うかどうかは別にして)、という無責任な発言をする人もいる。それらをしっかり見抜いて正確な情報を得るのはなかなかたいへんな作業だ。お世辞か本音かを差し引きして考えなければならない。まあ楽しみでもあるのだが。そんなことをしている内に、新しい服がだんだん自分の体になじんでくるのが分かる。


■髪切り工房にて
大学時代にパーマをかけてみたいと思っていたとき、友人に紹介してもらっていっしょに行った鳥羽街道駅前にある散髪屋さん。以来、20年通い詰めている。今も「髪切り工房」とネーミングして営業を続けている。

2年ほど前からはやし始めた髭も、最初はこの散髪屋の店主にアドバイスしてもらいながら整えていった。単なる無精髭だった物を、ちゃんと整えてくれて、伸ばすところ、剃るところを教えてくれた。以後、2ヶ月に一回ほどの散髪のたびごとに、点数を付けてもらい、何とかこの頃では90点をもらえるようになった。

なぜこの店主をぼくが気に入っているかというと、インフォームド・コンセントをそれとなくやってくれているからだろう。医者と患者との関係のあり方でよく取りざたされる「説明と同意」をうまく実践している人だからだ。

「いま、世の中ではこんなスタイルの髪型がはやっている……。」といろんな髪型について話してくれ。そして、
「あなたの世代では、若いときに長髪がはやった時期があるから、伸ばしたいのは分かるがこのぐらいにしておくのが妥協点だ。」
と言いながら、耳のどの部分まで伸ばすかを選択させてくれる。

「散髪も実際には手の感覚でやっているのだから、目の見えないあなたでも髭の手入れぐらい十分できるはず。」と言ってこつを教えてくれる。決してあぶないから止めろなどとは言わない。 はやし始めた頃は、顎髭だけだったのだが、それでは顎からひたいまでの間にアクセントがないから、サングラスをするか、鼻の下に髭を生やすかした方がいいとアドバイスしてくれた。サングラスではあまりにもこわいお兄さんになってしまうとのこと。結局金のかからない髭を伸ばすことにした。

あるとき彫刻の話をしていたら、店に飾ってあるフクロウや鯨のしっぽノ置物を、散髪の最中にエプロンの下に滑り込ませてくれる。店主自身、偏屈なおっさんだと自称しているが、興味のあることにはなんでも挑戦し、物事に徹底してこだわるタイプのようだ。そんなところがぼくの信頼を得ているのだろう。


■ スポルディングの靴を履いて
 ぼくは靴にもこだわっている。
履き心地がいいのはもちろんだが、足裏の感覚が問題である。点字ブロックや、道路の微妙な違いを感じとれなければ困る。でも底が薄ければいいというのでもない。ぺっちゃんこの靴では衝撃を吸収してくれないので、疲れが早いだろう。そのあたりの組み合わせが難しい。

それと、よく足を段差などでぶつけるので、靴の前面が全部皮だとその部分だけが傷ついてはげてくる。だから、地面からある程度のところまではゴムの部分がほしい。そうしたこだわりからスポルディングの靴を履くようになった。もう4足目だ。本当によくこだわる人ですね! ここまで書いてきてあきれてしまいました。

最近見つけた帽子は、比較的対物知覚を麻痺させない。
一番いいのは野球帽なのだが、それは似合わないらしいので、周囲につばのあるのにした。対物近くという点では、つばの材質が堅いとダメなようだ。それらをクリアしたのをやっと見つけた。本当はウォークマンでも聞きながらと行きたいのだが、そんなことをすれば車にひかれてしまうだろう。若かりし頃、一度はやってみたけれど、やっぱり無理だった。回りの音が聞こえないとどこを歩いているのかさっぱり分からなくなる。ドリルの音が響く工事現場を歩いているのと同じだ。

さあ、帽子をかぶってスポルディングをはいて、髭で風を切って颯爽と街へでよう。

1996年1月27日

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