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2011.09.06

「さわり・サワリ 心ざわざわ−光島貴之の世界−」

Photo_2

10月22日まで京都市北区にあるツラッティ千本で展覧会をしています。
ぼくが通い慣れた京都府立盲学校のすぐ近くにある人権資料館です。
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000106560.html

千北交差点から北大路通りを西に30メートルぐらい進むと駐車場のような道のような上り
坂があります。そこを北に向かって登っていくと何となく右に曲がるところがあり、また
上り坂。もう一度右に曲がると到着ですが、残念ながら入り口にしか点字ブロックはあり
ません。見えない人が1人で行くのは難しそうです。近付いたら電話して迎に出てもらう
ことをお勧めします。
小高いおかの上のようなところなので、入り口付近で千北交差点の音を聞くとちょっといい感じですよ。

9月10日には、公開制作で六曲一双の屏風絵を仕上げることになっています。
この屏風が、思ったより大きくて悩んでいます。

-------ここから案内文です--------

「さわり・サワリ 心ざわざわ−光島貴之の世界−」
 ツラッティ千本2011年度企画展

開催期間: 2011年9月6日(火曜日)〜10月22日(土曜日)
開館時間: 午前10時〜午後4時30分

開催場所: ツラッティ千本
京都市北区紫野花ノ坊町23番地1
 (千本北大路交差点、北西)
電話 075-493-4539
入館料: 無料
*休館日: 日曜日・月曜日・祝日

■特別企画
公開制作: 9月10日(土曜日)午前10時から午後4時半まで

ギャラリートーク「マチノキオク〜光島貴之,手で見るアート〜」: 9月30日(金曜日)
午後7時〜午後9時
いずれも、場所は、ツラッティ千本第1展示室

ツラッティ千本は、同和問題をはじめ広く人権問題を学習する場として1994年に開設され
ました。
常設展では、被差別部落・千本の歴史や教育、住民参加のまちづくりなどについて紹介し
、また企画展では様々な人権課題に焦点を当てた展示を行っています。

今回は「さわり・サワリ 心ざわざわ−光島貴之の世界−」と題して、ツラッティ千本に
近接する京都府立盲学校で青春を過ごした光島貴之氏の絵画等の展示を中心とした企画展
を開催する運びとなりました。
 光島氏は、自身にとっての「障り」をきっかけに、見る作品だけにとどまらず手で「触
る」作品にも取り組まれており、その作品に触れると、目では見ることができない広がり
を感じ、心のざわめきを呼び起こします。今回の企画が自身と他者がふれあう入り口,「
さわり」になればと思います。

主催:京都市/NPO法人くらしネット21

問合せ先
 京都市文化市民局市民生活部人権文化推進課
 (TEL 366−0322 FAX 366−0139)

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コメント

たねさん、なかなか辛口のコメントでした。3会ほど読み直しました。
今回の展覧会の性格は、個展と言うより、ベストアルバムのつもりです。観客をだましているつもりはないのですが、順路にしたがって見てもらうと制作年がバラバラです。最後に見ることになる「北大路堀川からギャラリーKまで」の音付きの作品は、99年制作です。
10年以上前のものを音など少しリメークしたものです。まだ大きな壁面などに描き始める前の作品です。

ところが、なぜか見てくれた人には、この音付きの作品が人気がありました。作家としては複雑な気分です。ということで最新作は、屏風絵ですね。

この屏風に対するたねさんの指摘は読み応えがありました。もっと描き込みたい気持もありましたがこれ以上描き込むと全体のバランスが崩れるのではないかという不安もありました。下書きと言われてしまうとそれまでですが、どの作品も空白が多いので、大きな作品になるほど白い部分も大きくなるわけです。あえて空白を残しているつもりではあります。兵庫県美のエントランスに飾ってもらっている『光のぬくもりを感じて』も同じような印象を受けるのかなぁ。
でなければ屏風という12枚の切れ目が問題のようにも思います。屏風に描いた思いについては書きかけの文章があるので改めてアップします。

屏風は、ツラッティ千本に寄託することになりそうです。それまでにもっと描き加える必要があるだろうか?

投稿: みつしま | 2011.10.31 11:31

というわけで、今後の大きな作品も展開を楽しみにしております(アートやる人で、人の意見聞いてやめる人はいないという経験知を持ってるもので)。

投稿: たね(追記) | 2011.10.31 00:34

私は元々小ぶりの作品が好きだ。なので手触りを描き込んでいく光島氏の作品は好きだった。その光島氏が最近「空間」「風景」を描こうとしているように私には思える。その意図(当たっているとして)は良いとして、この展覧会で気になったのは、その空間掌握が概念的すぎるのではないか、ということである。
東京までの道筋を描いたものは声を出す器具があり「目新しさ」があったが、そのぶん絵画というより地図に近いものに見えた(京大で写真を加工した時のような)。絵画とするのであれば、各記号を自らの感覚で検証しなおすほうが良いと思える。新幹線のカートなど触ったものはもっとリアルではなかったろうか?正確に描くのではなくデフォルメも活用できるのではないか?あと、用紙をつなげる時にただ繋げるだけでなく、全体の流れを見て、紙のでこぼこを流れるように加工するのもありではないか?新しい装置を面白がりながら、作品の目的を少し図りかねた部分があった。
屏風絵のほうは寸法のトラブルがあったせいもあるだろうが、空白が気になった。空間と線は触るようには見えない。ぱっと俯瞰で見ると、ラインテープが細いためもあり、輪郭を決めた下書き、という印象がぬぐえなかった。この思い出の風景に風は吹いていたか?この思い出の風景にはどんな光がさしていたか?そこが私には伝わってこなかった。記録という側面はあれど、それをどう感じているのかという表現が少ないと思った。それは具象でなくても何かの色を取り入れても表現できるものではないかと思う。
絵画は記号ではない。勿論信号の音のように鳥という記号を使うのは同感するが、全て記号的なのはいかがなものだろう?山は形で山と分かる。しかしそれは作者にとって「どんな」山なのか?そのリアルが伝わりにくい。そこが記号と絵画の違いだと私は感じている。

投稿: たね | 2011.10.30 23:42

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