2008年10月 4日 (土曜日)

8月危機

*下の方に香港でのワークショップの様子を、日記風に書きました。写真も、1枚アップできていると思うのでご覧ください。

きわめて個人的な経済危機を、何とか通り抜けることができた。
今年、4月ぐらいから、支出が増大。
息子の学費、ポストカードの制作費、個展のときに20数枚作った額の支払い、
極みは、8月に生命保険の年払い、など重なってどうして切り抜けようかと苦闘していた。
何とか香港でのワークショップのギャラで命拾い。

4月以降は、飲みに出るのも控えて、できるだけ治療室に詰めて、予約を逃さないように電話に貼り付いていた。
おかげで、月刊来院数も伸びて、収入も安定してきた。
スッカリ、予約表を読みながら、月末までの収入を計算する癖が付いてしまった。
どうも金の亡者になってしまったようで自分でも気持ち悪い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年8月 5日 (火曜日)

『ノルウェイの森』ってポルノ小説だった?

週末、村上春樹の『ノルウェイの森』上・下巻を一気に読破。
読み終えての感想は、
「これってポルノだった?
ちょっと下品な言い方をさせてもらうなら、
登場人物は、ほとんどが精神障害者の女性で、主人公の渡辺が、その女性たちとやりまくる。
渡辺は、もうすぐ二十を迎える一応健常者と思われる男性。

これまでに『海辺のカフカ』は、読んだことがある。ま、村上春樹もなかなかだと思っていて、次に読みたくなったときには、この『ノルウェイの森』を読むつもりでいたのだ。
読みやすいし、おもしろいことには変わりないが、どうも読後感がスッキリしない。

ベストセラーになった作品がこれっていう感じなのだ。
それで、ネットで検索してみることにした。
「村上春樹」と「精神障害者」でヒットした中には、
「精神障害者をちゃんと描いている」と賞賛しているものはあっても、
ジェンダーや精神障害者の描き方として問題ありとする発現には、たどり着けなかった。
確かに、異常の中に正常があり、正常と思われているものの中にこそ、異常が存在するのだという思想は貫かれているが、
その考え方が社会との接点を持たない以上、理想を述べているだけに過ぎない。

あまりの後味のわるさに、もう一冊読まないと収まりが付かなくなり、
これもその内読みたいと思っていた、村上龍の『「69(シクスティナイン)』を読んだ。
書かれたのは「ノルウェイの森」と同じ1980年代後半。
舞台設定も『ノルウェイの森』と同じ1969年から70年に掛けてだ。
春樹は、ノンポリの大学生を、龍は全共闘に近いところにいて、その運動をうまく利用して楽しく生きようとする高校生を主人公にしている。
前者は、社会性まったくなし。後者は、かなりの反体制としての思想が貫かれている。

ぼくは、この2冊を読み終えてやっとバランスを取り戻した。
龍の小説には、いつも分かれ道が用意されていてハラハラ・ドキドキする。そして、なぜか泣いてしまうようなところがある。
春樹は、特にこの『ノルウェイの森』に限っては、先が読めてしまう。きっとこの女性と性的関係になるだろうと思うとその通りになる。
あまりに読者を、ぼくを裏切らないので作者との距離が取れなくなる。

ネットで検索していて知ったことだが、村上春樹の1995年あたりに天気となる作品があるらしい。
ぼくが絵を描き始めた時期でもある。
次はそのあたりを読んでみよう。
裏切られないことを願って。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月31日 (木曜日)

一本道

先日、東京に向かうため北大路駅で市バスから地下鉄に乗り換えることがあった。
ぼくにとっては早い8時過ぎのことだ。
ちょっとややこしい北大路駅、いつも点字ブロックを頼りに、それでも慣れた駅なのでかなり早く歩いていると思う。

すると点字ブロックの上で正面衝突。
「すいません すいません」とお互いに声を出したと同時に杖が触れあったような気がした。
何と視覚障害者同士の衝突だ。

慣れているところで、路面が滑らかなところだと、点字ブロックの上を歩くときは、あまり白杖を左右に振るような歩き方をしない。
だれもがそうかどうかは知らないけど、杖を前方に押し出して、スライドさせている。
足裏だけは、しっかり誘導ブロックを捕らえながら、じつに軽快に歩いているものだ。
地下だし、まず自転車などの障害物はないだろう。見えてる人も、白杖を見たら避けてくれるだろうと独り善がりな解釈で歩いているのだ。
しかも、見える人たちに負けないようにかなりのスピードを出してみたりする。

以前にもこのスピードは危険だという経験をしている。
そのときは、杖を左右に振りすぎていたのが原因かもしれない。
地下鉄烏丸駅のホーム上でのことだった。前方からやって来た人の足を引っかけてしまい、倒してしまったのだ。
幸い怪我はなかったようだし、杖も折れなかった。杖など目に入ってない人もいくらでもいるのだと実感した。

杖をスライドさせているということは、杖を突いている音がしないということになる。
だから、お互い杖をスライドさせているとどちらも視覚障害者がやってきたことに気付かない。見えない人同士のごっつんこ!!
たぶん、ライトハウス付近の路上では、よくある風景かも。
しかし、これも誘導ブロックが普及したための弊害とも言える。
その昔は、点字ブロックなどないものだから、みんないろんなスタイルで、杖を振り回したり、ただ持っているだけだったりしながら、道の真ん中を闊歩する人。
端の方を壁に沿ってゆっくり歩く人。さまざまだったように思う。

現在では、たどる道は、広い道の中の誘導ブロックの一本道。
外に出かける視覚障害者が増えるほど衝突の可能性も増える。
世の中で、見えないのは自分だけだと思いこむのは、もう止めなければならない。

またまた昔の話しを持ち出すが、木造の盲学校の校舎では、廊下の中央にかまぼこ形に盛り上がった金属のラインが敷設されていた。
道路の中央分離帯のようなものだ。
そして右側通行が教え込まれていた。
誘導ブロックもその上を歩くのでなく、右側通行を心がけた方がいいのかも。

ここまで書いたら、教訓だ。
一本道はよくない。いろんな道が用意されて手こそ、多用な人間が自由に育つ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木曜日)

ゴルディアナホテル(2/22)

さて、20分遅れで出発したプノンペン行きの飛行機だが、空港には、約束通りハンナが迎えに来ていた。
持ち込んだパネル6枚(作品だが)とスーツケースをピックアップ。
迎えに着ていたのは、トックトック(バイクの後ろに幌付きの2輪車が連結されたもの)
プノンペンの空気を味わいながらホテルに向かう。
Img_1767_6


日本では、車に乗せてもらっても、窓を全開にすることはないし、スピードも速い。
トックトックは、時速30キロも出ないぐらいのスピードだ。
バイクや車にドンドン追い抜かれる。しかし、街の匂いや賑わいが伝わってくる。
ほこりっぽくて、煙の匂いや煮炊きも野の匂いが漂う。
何かを焼いている匂い。警笛、人の話し声。
何かなつかしい街の感じだ。後から舟橋さんと話してわかったのだが、日本の昭和20〜30年代の雰囲気らしい。

ぼくは、生まれつきの視力が弱かったので、景色というものを鮮やかには覚えていない。
匂いや音がなつかしさを呼び起こしてくれるのだろう。

さて、到着したホテルは、聞いていたところとは違っていた。
とりあえずの打ち合わせの場所かと思っていると、部屋の鍵を渡される。
出発前日に知らされたのは、プノンペンで一番いいホテルと言われているインターコンチネンタルだったのだが……。
変更になったとも、何の断りもなく、ハンナとの打ち合わせはドンドン進んでいく。

後に判明したのは、インターコンチネンタルには、日本の別のグループが泊まっているということだった。
このいきさつは最後まで謎のままだった。

暫くすると、ぼくたちに450ドルガ渡された。何度も確認したが、昼食と夕食代にするようにとのことだった。
これは、滞在中のパーディアム(パフォーマンス系のアーティストに支払われることの多いらしい日当)だったのだ。
始めにも最後にもこれだけ。しつこいが、作品借用量とか制作費、ワークショップの謝礼というようなものは、一切なし。
それでも飛行機代と宿泊費はもらっているわけだから、契約書とか、説明さえあれば何の不安も持たないのだか。
契約書は、明日渡すと言われたが、最後までお目に掛からなかった。
今から考えてみると、1月中頃から、ずっとらいしゅうには契約書を送るという返事が何度も送られてきていたのだ。
この国には、──障害者に対してはかもしれないが──契約書なんて存在しないらしい。

とはいえ、ぼくたちは、物価の安いカンボジアで大金を手にして優雅な食事を楽しむことができた。
2人でネパールの料理を腹いっぱい食べても15ドル程度で治まる。デザートとチャイ付きだ。
宿泊先のホテルで一人でビールと何か1品、例えば、グリーンカレーなど食べても5ドルぐらい。

ホテル周辺には、カンボジア料理はもちろん、インド料理屋フランス料理(なぜかこの店ではパスタを食べたが)や、ネパール料理の店などがあった。


Img_1760

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年3月18日 (火曜日)

カンボジアへ(2/22)

2月21日の夜、正確には、22日の午前1時25分のタイ航空でカンボジアへ向かいました。
バンコクで乗り換え。ここで予想できないようなことが起こった。

今回は、おてらはうすでも二人展をやった舟橋さんに同行してもらった。
彼は、ヘビースモーカー。
当然機内は禁煙。プノンペン行きの飛行機に乗る前に何としても一服。
しかしバンコクのスワンナプーム国際空港はとても広いようだ。乗り換えのE14ゲートまでは遠い。動く歩道を3階ほど乗り換えてさらに4階へ。
やっとゲートが見えたところで、彼は、喫煙コーナーを探し始めた。2階にあるというので、ぼくも一緒に2階へ。
ぼくは、吸わないので、ベンチに荷物を下ろして休憩。

ところが、いつもだと5分ぐらいで戻ってくるのに、15分、30分しても帰ってこない。
さては、ぼくを置いておいしいコーヒーでも見つけて飲んでいるんだろうなんて思っているうちに、1時間が過ぎると、さすがに焦ってきた。
フライトまで30分。喫煙コーナーで麻薬の売人に声を掛けられ、そのまま誘拐でもされたのでは……。
と、最悪のシナリオを考えるようになる。
でもぼくが、動いてしまってはややこしくなる。

ぼくは、関空を出たときのジャンバーをリュックにしまい、杖もたたんでリラックスしていたのだが、さすがに後20分というところで動き始めた。
しかし、少し前まで賑わっていた周囲は静まりかえっている。
遠くの方で、お皿を重ねるような音が聞こえているだけで、話し声が全くない。
誰かに声を掛けて、覚えている「E14」に連れて行ってもらわなければ。白杖を持って歩き回ればだれか声を掛けてくれるだろう。

リュックを肩に掛け、さっき降りてきたエスカレーターの登りを探すためにも、ぼくは宛もなく歩き始めた。
声を掛けようにもどちらに向かって何と呼びかければいいのだろう。
日本でなら、「ちょっとお願いします」なんて言うところなのだが、英語では何と言えばいいのだろう。
そんなことを考えながら歩いていたら、椅子の背にぶつかった。その衝撃で気付いてくれたのか、ひとりの女性が声を掛けてくれた。

とにかくぼくは、
「I lost my friend. Please take me E14.」(正しい英語ではないと思う)
最初の女性は、英語が話せないようで、近くにいた男性に引き渡してくれた。
その男性は、飛行機のチケットを見せるとドンドン歩き始めた。
エスカレーターで、上に向かったので安心していたが、どうもゲートがわかりにくかったようだ。
そうこうしているうちに、日本人男性が声を掛けてくれてゲート近くまで連れて行ってくれた。
そこで、空港の係員にキャッチされたというわけだ。

「Don't worry.」
と、いきなり言われたのを覚えている。

よく考えてみると、まだ手荷物検査を済ませていなかった。
乗り換えだから、もう一度手荷物検査をしてパスポートを見せて、それから搭乗口に向かわなければならなかったのだ。
すぐにでも機内に入れると思っていたから、ギリギリまで動き出さなかったのだが、
せめて30分前には行動開始していなければならなかったわけだ。

まあ、しかし、パスポートもチケットも自分で持っていてよかった。
もし彼に預けていたら、ぼくはどうなっていただろう。
チケットやパスポートを2人分まとめて見せることが多いので、つい手引きしてくれる人に預けてしまうことがある。
いつも迷子になることを想定して行動する必要がある。

ところで彼はどうしていたかというと、一生懸命ぼくを捜していたのだ。
彼は、タバコを吸い終えて、ぼくを捜しに4階に上がったという。
2階に待たせていたことをスッカリ忘れていたようだ。寝不足とニコチン切れは、彼の頭をもうろうとさせていたようだ。

4階を捜してもいないので、パニックになったという。そして警備員にぼくを捜してくれるように頼んだ。
伝えられたぼくの特徴は、関空での服装と白杖。
でもぼくは、服を着替え、杖をたたんでいたというわけである。

彼は、登場手続をして、先に乗るように言われたらしいが、
頑として断り、「ぼくをここで待つ」と言い続けてくれたらしい。
おかげて、一緒に予定通りの飛行機に乗ることができた。席に着いて時計をみると、20分もフライトの時間を過ぎていたのだった。

*いきなり、同行してくれた舟橋さんの悪口のような話しから始まるが、
どうしても、カンボジアの波乱含みの11日間を語る上で、はしょることのできない思い出なのである。
舟橋さんは、英語でいろんなやりとりを助けてくれたり、写真を撮ってくれたり、浮き沈みの多いぼくの気分を和らげてくれたり、本当に苦労を掛けたと思う。
改めてありがとう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年3月11日 (火曜日)

アルバムを作ってみました

9日、日曜にあざみ野から作品が帰ってきました。
 日通の美術運送で返却されてきて、検品して借用書を返却しました。
あたりまえのことだけど、カンボジアでは契約書も借用書もなかったので、改めてそのギャップに驚いています。
ぼくのように個人でやっているもの──アーティストの場合、たいてい、よっぽど売れている人で、マネージャーでもいなければ、個人かな)は、やっぱり権利を守るためにもめんどうでもこういう手続が必要だと思っています。
でも、まだまだ障害者アートと呼ばれるような福祉系の展覧会などでは、わざわざ契約書を交換するようなことが少ないようにも思います。
作業所とか施設で制作している場合も多いから、個人での契約というのが難しい場合もあるのかもしれないけど、社会的な活動として認めていこうとするなら、そのあたりキッチリしてほしいものです。

 さて、あざみ野での展覧会と、大丸でやったロビンさんとのコラボレーションの様子を
ブログのマイホトという機能を使ってアルバムにしてみました。
サイドバーの「Albumあざみ野」 「Album青色の木がカリンバを聴いてるよ」をクリックしてみてください。
感想もコメントでどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 7日 (金曜日)

カンボジアから帰国

カンボジアから無事帰ってきました。
知り合いの人が偶然同じ時期にプノンペンにいるというので、旅先での再会をもくろみましたが、見事失敗。
最大の原因は、宿泊先のホテルが、到着直後変更になってしまったからです。

なせ変更になったのかは最後まで不明。一応、ぼくが出品したり、ライブパフォーマンスをやるガソリナという会場に近いホテルということで納得しておくことにした。
当初、連絡されてきたホテルは、インターコンチネンタルホテル。調べてみると、プノンペンで一番高級なホテルとか。恐るべし日本財団!!と喜んでいたのだが、期待はずれだったというわけだ。
このあたりからけちのつき始め。
インターコンチなら、おいしいコーヒーが飲めたのにというのが、一番のねたみである。

まあ、ぐちはこれぐらいにして、改めて報告を書きます。
写真も舟橋さんから提供してもらうのを待って掲載します。

今は、とにかく待ってくれていた鍼の患者さんに精一杯の治療を試みているところです。
来週になると、少し余裕ができそうです。
とにかく熱さと、これぞアジアというカンボジアに圧倒されて帰ってきました。
今は、いつものコーヒーとウォッシュレットに感動しつつ、毎日を送っています。

いつも、日本にいると、ちやほやされることが多いので、たまにはこれぐらいの扱いを受ける方が刺激になっていいのだろう!!

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年9月 6日 (木曜日)

個展の準備進んでます

DMを、200人分ぐらいの宛名に発送しました。
額装してもらうために、A4、16枚。A3縦分割、3枚、A3、6枚を業者に引き渡しました。
蛇腹状に繋がった絵が2枚あるので、全部で17枚出品予定となりました。
タイトルや感想を書いてもらうためのメモ帳を30冊買いました。
ドンドン書き込んでもらえるといいんだけど。

はねうさぎのページに案内が載っています。
http://www.haneusa.com/top.html

同時にroom2で開催される企画展
「おはし展 - 森の木のためにできること -」もおもしろそうですね。
□120人の作家がおはしをつくって展示するそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月 4日 (火曜日)

ちかづくとビートルズ 遠ざかるとノイズ

一昨日のビュー鑑賞ツアーに参加いただいたみなさま、お疲れさまでした。
当初の募集締切時点での見える人の参加が極端に少なかったので、急遽このブログや「みつしま通信」で緊急募集させていただきました。
おかげさまで、見えない人、見えにくい人一人に対して、見える人が3人という贅沢な鑑賞ツアーが実現できました。どうもありがとうございました。

ぼくの楽しみにしていた藤本由紀夫さんの『+/-』は、ビートルズの曲をすべて集めてボーズのスピーカーで同時に鳴らすというものでした。
横幅7、8メートル。高さ3メートルの大型の本棚(1つ1つの棚が横長)というか、蓋のない昔ながらの下駄箱の中に、スピーカーが埋め込まれていて、ビートルズの曲が一斉に鳴っています。
近づいて聴くと、それぞれの楽曲が聴きわけられるのですが、少しずつ遠ざかっていくと、個別の音は消滅して、何か街の騒音のようになって聞こえますす。
換気扇の音のようにも、滝のようにも、新幹線や飛行機に乗っているときの騒音のようにも聞こえてきます。
いろんな音を合わせて鳴らすと、あるいは聞くと、こんなノイズになってしまうんですね。

続きを読む "ちかづくとビートルズ 遠ざかるとノイズ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月 1日 (土曜日)

復活ピッグノーズ

昨夜、ピッグノーズに行った。
そう、あの烏丸松原の地下にあったピッグノーズが復活したのだ。
場所は、祇園石段下。東大路通りの市バス206系統の京都駅方面のバス停から30メートルぐらい下がったところ。東側にある。
目印は、バス停からすぐに餃子の王将がある。そこからさらに約10メートルぐらいだろうか。1回は、鉄板焼きのお店だったかな。
入り口の特徴はまだ掴めていないが、らせん階段で3階まで上らなくてはならない。
登り階段のすぐ右側には、地下に降りる階段が並んでいるが、その上がり口に手すりがないのが特徴。
妙に怖そうな階段だ。
行きはよいよい、帰りは酔っぱらうと恐ろしいことになるかも。

カウンター中心で、店内は以前に比べると狭いようだが何かしら圧迫感がない。
カウンターが広いからか、スピーカーの配置がいいからか、残響の少ないスッキリしたぼくの好きな音空間だった。

店主久場さんは、張り切っている。9月後半には、早速浅川マキのライブをやるとかで、店内にはなつかしい曲が掛かっていた。
もう一度行って店内を詳しく観察しないと。
一緒に酒を飲んだのは、昨年おてらはうすで二人展をした舟橋さんだった。
入り口とトイレの場所は覚えたので、次からは一人でも行けるだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年8月15日 (水曜日)

はねうさぎで個展

暑いですね。京都もかなりです。
暫くブログへの書き込みをサボってしまいました。
いつものことですが、フト緊張の糸が切れてしまうことがあるようです。
今は、鍼灸院も夏休み(明日までですが)で、少しゆっくりしていたら、また書き始められそうな気になってきました。
気紛れ申し訳ありませんが、またお付き合い下さい。

9月の11日から、16日まで京都のギャラリーはねうさぎで個展をさせてもらいます。
5月にこのブログで発表した「ネットで展覧会」野作品を中心に展示します。
そのDMが昨日できあがってきました。
予算の都合で、今回はさわってわかるものにはなってませんが、紙だけザラつきのあるものにして、差別化をはかったつもりです。
おもて面の絵は、「パキッと折れる」 「椎間板ヘルニア」なんてコメントを付けてたやつです。次回は、プレスリリースの原稿を発表します。

| | コメント (0)

2007年6月14日 (木曜日)

エレベーターの中で

コメントで手引きの話題が出ていたので、こちらで話題にさせてもらいます。
(たねさんのコメントは、「美術に関心のない人も」からこちらの方に移動させてもらいました)

一人で街を歩いていると、ときどき「だいじょうぶですか?」とか、「どこまで行きますか?」などと声を掛けられることがある。
ぼくは、これをなんぱされると呼んでいる。

若い頃は、30代頃までは、そういうとき、かなり緊張してガチガチになっていた。
この間、地下鉄の最終ぐらいで北大路駅に着いたときのことだ。
ホームの中程で降りて、歩き出そうとしたら、

「改札ですか?」と声を掛けてきた男性。
40代ぐらいだろうか。そのとき、ぼくは片手に手提げ袋を持っていた。
いつもなら「お願いします。腕を持たせてもらっていいですか?」
と言って、腕に捕まらせてもらうことが多い。

ところが、手提げ袋で手がふさがっていたので、「はい」と応えたものの、
次の動作に移れなくて、緩やかにその人に沿うように歩いていた。
「こちらですよ」と案内されたのは、エレベーターの入り口だった。

ドアを開くボタンを押してくれて、どうぞと言いながら、その男性の手がぼくの肩に乗せられた。
男性からは遠い方の肩だったので、肩を抱かれるような感じになって、エレベーターの中に誘導された。
ドアが閉まると、酒の匂いがしてきた。
何かこれやばんいんちゃうっと思いながらその手はそのまま肩に乗せられていた。
わずかな時間だが他にはだれも乗ってなかったので、妙な雰囲気だった。

ドアが開いて、そのまま押されるように外に出た。
ちょうど点字ブロックに差し掛かったので、後はわかりますからと言って少し早足で歩き出した。
改札を出てからその男性に再び捕まることはなく、いつものように家まで歩いて帰った。

| | コメント (7)

2007年6月 6日 (水曜日)

透明人間

午前中、鍼の仕事が暇だったので、早めのお昼にしようと自宅へ向かおうとしたときのことだ。
治療院の鍵を掛けようとしたら、何か化粧のいい匂いがしてきた。
近くに女性が居るんだろうなと思った。

治療院の前の通りは、堀川通りで車の行き来が激しい。
なかなか人の気配を感じるような静けさではない。
鍵をかけて、郵便受けを空けて中を確認するのがいつものパターンなのだが、郵便受けの隣に診療時間などが書いた看板がある。
きっとこの匂いの持ち主は、診療時間や電話番号を見ているのだろうと想像して、少し鍵をかける動作をゆっくりしていた。
そして、おもむろに郵便受けに手を伸ばしたころに、その匂いが消えていった。

特に足音もしなかった。ひょっとしたら、通り過ぎただけの人の匂いを勘違いしていたのだろうか。
音ならその位置をリアルタイムで確認できるが、匂いは少し時間差で漂ってくる。
そんなに敏感な鼻でもないので、あまり自信はない。
敏感な嗅覚の持ち主だと、匂いのラインとか、重層的な匂いを判別できるということを聞いたことがあるが。

ちょっと女性に敏感になっているだけかもしれないなぁと思いながら
もし治療に関心を持ってくれている人なら、欠かさず鍼灸院のチラシを渡せたのにと思いながら昼ご飯を食べた。

| | コメント (2)

2007年6月 3日 (日曜日)

美術に関心のない人も

お知らせでも案内していた、ビューの鑑賞ツアーが終わりました。
今回は、ぼくのわがままを聞いてもらい、ギャラリー巡りができた。

いつもは、鑑賞する絵を点図にしてもらっているが、今回は、代わりに近美周辺の点図の地図を作ってもらった。
かなりいいできだ。言葉によるアクセスマップ作りで、歩き回った街だが、
こうして点ずの地図を触っていると、改めて街が自分の中に入り込んできたのを実感した。
言葉で書くと永遠と続く道だが、A4の点字用紙1枚でこれだけの情報が提供できるのだ。
図というのは、すばらしいものだ。

今回のぼくのチームは、Tさんという美術系大学を出た女性と、
Iさんという、「どちらかというと美術には興味がない」という変な自己紹介をした女性(この謎は後に解ける)と、3人で行動した。
まず、どこに行きたいかを話し合って出発

ぼくは、どうしても近美でやっている日本画の「福田平八郎展」でいくつかの作品を鑑賞したいと思っていた。
なぜなら、1週間ほど前にやってきた患者さんがこの「福田平八郎展」の話しをしていたからだ。
もう古くからのお付き合いで、20年ぐらい鍼をさせてもらっている。
80になる女性だが、美術やクラシック音楽に詳しい。
特に『水』と、瓦を描いている『雨』という作品は、日本画を飛び越えたような作品だと言っていた。

それで今回ぜひその作品をビューしてみたくなったのだ。
風景画ではなく、瓦とか水そのものに迫る描き方は、何かぼくの感性にも通じるようだ。
というか、ぼくも改めてこういう描き方をしてみたいと思った。
後からみたピンフォール写真は、広角でものを捕らえているようだが、その対局に位置する描き方なのだろう。
とにかく患者さん、今日の2人と会わせて3人から絵を説明してもらったことになる。
年齢層も幅広く、だからこそ伝わってくるものがあったように思う。

鍼をしながら聞いた話しは、それなりにぼくの直感を突き動かした。
しかし、絵を前にした対話は、子どもの頃、2階の子ども部屋から瓦屋根におそるおそる足を下ろして太陽のぬくもりを感じたあの幸せな気分を思い出させてくれた。
たぶんぼくの一人勝手な絵の解釈は、まだぬくもりのある瓦屋根に雨がポツリ、ポツリと降り始めたときの印象なのではないだろうか。

美術館を出て、疎水沿いにギャラリー16へ。
ここでの内容は省くが、作家もおられてコンセプトなどを聞けた。ギャラリーならではの醍醐味だ。
続いてはねうさぎへ。
じつは、この間からやっていた「ネットで展覧会」を見てくれたオーナーから、ぜひ9月に個展をやりましょうという声を掛けてもらっていた。挨拶も兼ねての訪問となった。

ここは、二部屋ともピンフォールの作品展だった。
写真を前にして、3人の会話が始まった。
Tさんは、魚眼レンズのようですねという。
「広角で視野が広いんですね」と、ぼく。

「写真の中心になっているところは?」と聞いてみる。
「中心はあるんですが、そこからの広がり具合が独得です」とTさん。
「ううん。難しいな」と、ぼくは、少し困惑する。

そのときIさんが、
「なんて言うか、シャーって感じ」
思わずオノマトペを口にしてしまったIさん。
「しまった!」という感じが伝わってきた。
しかし、ぼくはその瞬間「わかった」という感じになった。

この擬音語・擬態語というのはなかなか効果的だ。
しかし、あくまでもライブ感のあるときにだけ有効なように思う。

最後は、近くのカフェでコーヒーを飲みながら、感想を話し合った。
Tさんは、大学時代にギャラリー巡りをしていたときのことを思いだして、血が騒いできたと言っていた。
Iさんは、代表の阿部さんの友人で、何となく誘われるままに参加したのがきっかけでビューの鑑賞がやみつきになったと言っていた。
「特に美術には興味はないけれど、みんなでおしゃべりしながらダンダンその世界に入り込んでいく。一人ではけっして見ないだろう世界を見ることが楽しい」
と言う。こういう人もいるんだなぁと初めて知った。
ビューに来る以上、何かしら美術に興味がないと無理だろうと思っていたのだ。

そこでさらに謎が解けた。
最近、阿部さんが書いているビューについての文章を読ませてもらう機会があった。
「美術に関心のある人もない人も」という表現がよく出てくる。
「えっ! 興味のない人にも鑑賞してもらうの?」と、ぼくはとても懐疑的になっていたのだ。
それが今日のIさんの言葉で謎が解けたような気がした。
美術にまったく興味のない人にも、ビューの間口は開いておく必要があるのだ。
コミュニケーションに関心のある人なら、だいじょうぶだということだ。
では、しゃべるのが苦手な人はどう?

| | コメント (13)

2007年5月28日 (月曜日)

再びミクシィと連動

ミクシィとこのブログを連動させました。
暫くミクシィと平行して記事をアップしてきたのですが、少し疲れました。ミクシィ疲れという言葉もあるようですが、どうなんでしょう。
たしかにミクシィだと、コメントがたくさん付きます。それってとってもうれしいんですが、ぼくの場合どうもそのテンポには、付いていけないようです。
でもマイミクさん、このブログの方でもドンドンコメント付けてくださいね。その日の内に反応できなくても、ゆっくりコメント書いていきます。

ミクシィを始めた頃、やっぱりこのブログに連動させていたので、今ミクシィを覗くとすごく古い記事に連動しています。
ドンドン新しい記事を書かないとなんか変なことになってますね。

| | コメント (1)

2007年5月26日 (土曜日)

久しぶり

健康保険の取り扱いを止めて1年が過ぎた。
今年の冬が最悪だったが、この頃少しずつ患者さんが増えてきた。
同業者の人からは、3年がんばれば取り戻せると言われていたが、いい感じで快復してきている。

特にこれはと思ったのは、7年、15年、25年ぶりで鍼のことを思い出してもらったことだ。
1人は、先ほど、3時頃。午後3時というと、土曜なので、店じまいの時間だ。
「予約制なので……」などと説明し始めると、
「前にもお願いしたことがあるんですけど」と、弱いところをつかれた。
「お名前は?」
「向かいの…です」

名前を聞くと、膝を治療していたことを思い出した。
少し待ってもらい、残業することにした。

もう1人は、赤ちゃんのときに小児ばりをしていた女性。
大学卒業後、研究室で働いていると言う。
アート関係の仕事らしく、プロジェクトを抱えていて寝不足の日々が続いているらしい。
子どものときの鍼記憶というより、今もときどき来ているおとうさんからのプッシュだとは思うのだが、わざわざ尋ねてきてくれたのだ。

さらにもう1人は、風邪を引いたら急に肩が凝ってきて、鍼を思い出したという人。
それで以前のように、2週間に一度鍼をすることになった。

何かこういう久しぶりはうれしいものだ。

| | コメント (4)

2007年5月25日 (金曜日)

年を取ると

治療院に来る患者さんも高齢化している。
もう長年鍼をしている患者さんだが、
ベットに寝てもらうだけのお付き合い。
だからか、ときどき変なことを言う

「靴下がなくなった捜してくれ!」
「黒の靴下だ!」

そう言われてもなぁ。
改めて目が見えないことを伝えなくてはならないのだろうか。
最初の頃は、本当に見えてないのか? とか、見えなくてどうして鍼が刺せるのかなんて
しつこく聞かれたものだ。

仕方なしにぼくも見えてる振りをして、
脱衣篭を引き出してみる。
でもやっぱり中をさわらないとわからないので、ゴソゴソ。
何だか変な光景だ。
ダンダン年取ると、見えないことぐらいどうでもよくなって、
あまり気にならなくなるのだろうか。

| | コメント (2)

2007年5月24日 (木曜日)

歯茎が腫れている

何か書こうとすると、厳密に調べて書かなければと思ってしまう。
ネットでいろんなことを調べている内にめんどうになる。
暫く散文は諦めて詩的なリズムで書いてみよう。

展覧会が終わると、歯茎が腫れてきた。
こんなに腫れるのは、初めてだ
腫れている内は、歯医者にいっても何もできないというようなことを聞いた憶えがある。
化膿止めと鎮痛剤を処方されるのか? それとも少し切って膿を出すのか?

ならば、鎮痛剤と鍼でなんとかしてみよう。
鎮痛剤が効いてくると、鍼をしてもほとんど痛みがない。
皮膚知覚は見事に鈍感になっている。
深いところで感じる鈍い響きだけだ。
手がうまく届かなくて、鍼がうまく刺せなくても痛くない。

円皮鍼を貼り、ケーキを買ったときに入っている保冷剤で冷やしながら寝ている。
3日目ぐらいで峠は過ぎたが、まだ完治せず。

以前、日比野克彦のワークショップに参加したとき、自分の口の中を粘土で作ろうというのがあった。
今なら、おもしろいものが作れそうだ。

| | コメント (2)

2007年4月17日 (火曜日)

オタクかなぁ

最近何をしてるかというと、手持ちのCDをパソコンに取り込むこと。
ぼくの音楽生活は、CDで止まっていました。
絵を描いている内に世の中は、MD、そしてiPodへとめまぐるしく進化していたんですね。
少し追いつかなくては!!
慌てて、パソコンとステレオをUSBケーブルで繋ぐことにしました。
いままで通り、画面の読み上げの声は、小さなスピーカーから、
音楽は、ステレオに繋いでいるセレッションのスピーカーから聞こえるようになりました。

それで、手持ちの音楽CDをMP3に圧縮して、ドンドンパソコンのハードティすくに取り込んでいます。
メディアプレイヤーを使うと、アルバム名やアーティスト・曲名などを読み上げてくれるので、これまた便利です。
これまでは、CDケースに点字でタイトルだけを書いてました。曲名はほとんど知らないままだったんです。
聴きたいアルバムをすぐに探し出すこともできるので、本当に助かってます。
鍼をしながら、その日の気分でアルバムを選んで聴いています。

アルバム1枚取り込むのに5分も掛からないんですね。
この機会にと思い、CDケースを廃棄して、薄いCD収納袋にしました。
収納にも場所を取らなくなり快適です。
すでに200枚以上取り込んだかな。
こんな琴ばかりしているのをオタクっていうのかな。
学生の頃、ラジオの音楽番組をオープンリールのテープレコーダーで録音したり、LPレコードをカセットテープににダビングしたり、けっこうそういうことが好きだったんだといまさらながら思い出しています。

こんなことばかりしていると、ますます脂肪も蓄積してしまうと思い、
今度は、自転車に乗り、少しダイエット。
これまた大昔に買った自転車、エアロバイクというのかな。動かない自転車を毎日漕ぐようになりました。
10日ほど続いてます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火曜日)

太郎さんを読んでから

マイミクの中村さんが紹介してくれた
岡本太郎の『今日の芸術』を読みました(スキャナ読書です)
ビックリしました。1970年頃の大阪万博の『太陽の塔』のころに書かれているのだと思って読んでました。

ちゃんと読み直したら、何と1954年、ぼくの産まれた年に書かれているではありませんか。
やっぱり彼は先を行っていたんだ。
口述筆記で書かれているからか、とてもわかりやすい内容に思えるが、奥はかなり深いですね。
今読めてよかった。そしてこんなことを考えました。

展覧会企画(覚え書き)
タイトル/「音空間へ skin-dive」
音や皮膚知覚で感じるインスタレーション

まず、否定形から。こんなものにはしたくないというイメージ。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」
〈http://www.dialoginthedark.com/〉
「暗闇の中での対話」のような疑似体験的なものではない。

嶋本昭三氏の「視覚障害者のためのアート試作」でもない(見えない人を意識しすぎ)

オット氏の「変心装置」でもない(視覚障害者にはあまりおもしろさが伝わって来ない)

お化け屋敷になってはならない。

視覚障害者のための訓練ではない。

実験室の体験ではない。

*見える人も、見えない人も体験しておもしろいものでなければならない。

■だれとやるのか
京大の「コミュニケーションロボットの研究をしている人たち」の研究室に持ち込んで実現したい。

■何をやるのか
光島の空間認知のおもしろさを感じてほしい。

以下のような感覚事例を収集中

遮蔽感(対物知覚)を感じるような音の壁。
何かにぶつかりそうな感じがするのに、通り抜けてしまうような感じ。
透明人間になりたい!

街を歩いていると風を切って自転車がすれ違っていく。あの驚き。
特急電車がホームを抜けていくときに吸い込まれそうな感じ。
ホームがわずかに傾斜しているととても怖い。

四条通で人の流れに逆らってしまい、大勢の人並みに飲み込まれる感じ。
すれ違ったときにしゃべっている人がふとこちらを振り向いてぼくに注目しているような気がするときの感じ。
地下鉄御堂筋線のどこかの駅。高架の駅で、駅の上の方に高速道路の車の音。電車が通るとホームが揺れている。
風の強い日には、音響式信号機の音が風に流されている(本当かなぁ?)

(実現できるといいんだけど)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 1日 (木曜日)

描けん病

2月25日、  アクセスアーツ大阪フォーラムのお知らせをこのブログに載せましたが、
ビューのページで阿部さんが報告をしてくれています。よかったら読んでみて下さい。
http://mitsushima.txt-nifty.com/view/2007/02/post_cf59.html

他にも3つの発表があったが、その中でもたんぽぽの家アートセンターHANA所属の山野 将志(アーティスト)さんと、
柴崎 由美子さん(たんぽぽの家アートセンターHANAプログラムディレクター)の話しが参考になった。

アートを語るシンポジウムで、たんぽぽの障害を持つアーティストが、ステージに立って発表するのは初めてではないだろうか。
たしかに知的障害の人が人前で話すのはとても大変なことだと思うし、誤解を招くようなこともあるかもしれない。
発表も型通りにはいかないし、臨機応変な対応が必要になってくる。
聞く側にもそれなりの気構えというか、コンセンサスが要求されるかもしれない。

でも、今回の発表は、とてもうまくいっていた。山野さんの重いがうまく引き出せていたと思う。
オーストラリアでのレジデンスが、アートセンターの取り組みをグレードアップしたのだろう。

障害者自身が、自分のスタイルでみんなに何かを伝えること。
そのような場を設定すること。
障害者の思いを引き出すディレクターや、サポーターの存在。
いずれもアートの裏側でさりげなく渦巻いていてほしい。

今回はぼくも含めて、二組の発表の中に障害者自身が関わっていた。
10年前には、このように障害者が前に立って発表することはなかった。
公募展で賞状をもらうのに進み出るぐらいだったのだ。
自分で描いたり作っているのだから、そのことについて話すのは当然だ。
ここで難しいのは、
「絵を描いているのだから、話しも聞いてあげますよ」
という会場の雰囲気になってしまうと、ベタベタの福祉になってしまって後味が悪い。
さりげなく、でも力強く語りたい。

最初の部分で参考になったと書いたのは、山野さんがオーストラリアに行くことを躊躇していたり、滞在先で、生活のリズムを掴めなかったりしているときに、
スタッフが、その原因について話し合ったり、いろんな試みをして少しずつ先に進んでいったところだ。

ぼくは今、「絵がけん病」と「チヤホヤ病」、「うらやみ病」の3つを煩っているので、
こんなサポートを受けたいと思ったのだ。
何しろぼくは、これまで一人でやってきた。
もちろんいろんな人に助けられながらではあるが、施設や作業所に属さないということで、気楽な面もあるが、いったん落ち込むとやっかいなことになる。
落ち込んでいるときには、誰しもチヤホヤしてほしい。みんな普通にやっている人がとてもがんばってるようにみえる。
展覧会の予定もないと、絵を描く気にもならない。
いつのまにかビューでお絵かきワークショップの講師をやっている。いつのまにか意見をまとめたり提案する側に居る。
自分のことは、自分で分析しなければならない。
だれかサポートして!? 背中をそっと押してほしいなぁって思っているのが、最近の気分な。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木曜日)

元アートリエの加藤さん

福岡のアートリエの加藤さんの声がネットで聞けます。
http://lovefm.co.jp/program/w_corner.php?id=6080&cornerid=24&programid=18&name=NATURAL%20WOMAN&programname=Stylish%20Life&radio=1

 アートリエにおられた加藤さんですが、現在は、音楽関係の企画の仕事をしておられるそうです。
そんなはなしを地元のFM局の番組でしゃべっておられます。聞いてみてください。
ぼくのパソコンとスピーカーのセッティングが悪いのか、インタビュアーの女性の声がやたらと元気で大きく聞こえてきます。
加藤さんは、おとなしくて、エレガンスな様子ですが、そうだったかなぁ?!

アートリエのときには、出品もさせてもらったし、気に入った作品をチラシにもしてもらいました。
どうもありがとうございました。

明日から京都に来られます。
土曜日には、治療室に鍼を受けに来たいとのこと。そして作品を買っていただけるとのことで品定めもしてもらうことになりました。
加藤さんのために数枚スケッチブックに残しているのですが、どの絵を選んでもらえるか楽しみです。
与えられたテーマは、「加藤菜穂子のイメージ」なんですよね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年9月22日 (金曜日)

声の第一印象

(放映直後に掛かってきた電話について、コメントに書きましたところ、個人メールを
  いただき、心強い気持ちになって、こんな文章をまとめました。
  たぶん、みなさまに問いかけるということは、すでに答えをぼくが持っていたのだと
  思います。まずは、その電話の声について書きます)

「作品にいたいたしさを感じる」
という内容の電話が、番組終了直後に携帯に掛かってきました。
特に『わがままな記憶をさかのぼる』を直接見てくれている人なので、番組を見て改めてそう思われたのでしょう。
「粘土なんかを使って、もっとさわる世界をやった方がいいんじゃないか」とも言っておられました。
作品に、窮屈さを感じるという感想を聞いたことはあるのですが、いたいたしいとはどんな感じだろうと思いながら電話を切りました。

「こんなこと、言われたよ」と、このブログやミクシィで書いたら、
「なまいきな光島さんが、何でその場で、どこがいたいたしいのかと聞かなかったの?」
というコメントを寄せてくれた人もありました。
ぼくの場合、メールでは何でもハッキリものが言えます。
だから、なるべくメールでやりとりするのを好みます。力関係を意識せずに書けます。

ところが、電話や直接対面すると、相手の雰囲気を感じ取ってしまって、遠慮してしまう
傾向があるようです。対面ではなくて、座談会や講演などでは、少し距離感があって、
雰囲気が伝わって来にくいせいか、ハッキリものが言えます。
あるいは、みんなに見守られているという安心感があるのかもしれませんね。

それともう一つ気づいたことは、相手の声質によって、引いてしまう場合があるようです。
具体的な事例を紹介します。
もう何人にも話しているし、本人にも伝えていることなので、あえて実名を出して書きます。
世田谷美術館の高橋さんというとご存じの人も多いかもしれません。落語などもやられる方で、学芸員としては、ちょっと異質な存在かもしれません。
この人の声、しゃべり方がぼくにはけっこう迫力があって少しおそれを感じてしまうのです。
始めて会ったのは、展覧会の打ち合わせで、エイブル・アート・ジャパンの事務所でした。
高橋さんに対する予備知識はまったくなくて、話しておられるのを聴いていると、
有無を言わさない迫力を感じてしまい、ぼくは、おとなしくしていました。
まぁそれでもなまいきなことは言っていたかもしれませんが……。

会議が終わった後で同席してくれていたメンバーに聞いたところ、いい感じの人だと
言います。顔は、醤油顔。やさしい感じだよというのです。ぼくは仰天!
えっ、そうなのっていう感じでした。それ以後京都の治療室に訪れてくれたり、個展に
ワインを届けてくれたり、いろんなところではなしをする内に少しずつその優しさが
わかってきました。いまではぜんぜん恐怖感はないのです。
それでも声は変わっているわけでなく、なんとなくドキッとしてしまうことは事実です。
どんな声かというと、しっかりした太い声でお腹から声が出ていて歯切れのいいしゃべり方です。
そういうのがどうも苦手というか、引いてしまう第一印象になるようです。

長々と書いてきましだが、今回の電話の声の主は高橋さんではないですよ。
誤解のないようにお願いします。
そんなわけで、ぼくは今回の電話で少し引き気味で詳しく聞けなかったと分析しています。
電話での話の中身については、改めて書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月16日 (土曜日)

点字用紙の分別は?

京都市のごみ収集システムが、10月から変更になり、家庭ごみ有料指定袋制になる。
ごみ袋が決められていて、1枚45円でコンビニで買わなければならないのだ。
もちろん、このごみ収集の件についての案内も点字で届いた。点字は2冊になっていた。
1冊目は、ほぼ90ページ。2冊目が120ページ。1冊目には、ごみの出し方とか、精度に
ついて書かれていて、2冊目は、ごみの分別が五十音順で調べられるようになっていた。

例えば、ぼくに関係ありそうな粘土とか、つぼというのを調べると、
「片手で持てる程度の重さで、2袋までなら家庭ごみ。それ以上のものは、大型ごみ」
と書いてあった。近々、粘土作品をある程度捨ててしまいたいなと思っているので、
こんなことを調べてみたのだか。片手で持てる程度という表現は何ともあいまいだ。

それにしても、この2冊はかなりのボリュームで、すでにごみとしての存在感を発揮して
いる。最近は、行政からの案内、例えば府・市民新聞も点訳されて届くようになった。
ドコモの携帯の請求書なども点字で届く。
なるべく点字はやめにして、ネットで読むようにしなければ、ごみ袋を余計に使って
貧乏になってしまうなぁ(笑)

ちなみに点字の書かれた紙は、かなりの上質紙だ。リサイクルでもしてくれるのかと
調べたが、点字用紙という項目はなかった。
チラシ・折り込みは、項目にあったのだが、点字ってまだまだ一般的なものではないのかなぁ。
点字テプラなどもできて、見える人の間にもかなり広まっているのかと思っていたが。


こんななまいきなことを書いていると、乙武さんのようにブログで叩かれるかもしれない。
乙武洋匡公式サイト: 紀子さま出産
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2006/09/post_f549.html
ここに書き込まれているコメントが、健常者の本音だとすると恐ろしい!!身震いしてしまう。
もっとも、ぼくはすでに生意気キャラで通っているからだいじょうぶかな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年9月12日 (火曜日)

作品の返却

今朝、もうひとつの美術館から作品が帰ってきました。
荷物は、グッズの返却も含めて11個。
治療室の2階に運び上げるのに一苦労。いい運動になりました。

10月から、ごみが有料化されるというので、がんばって片付け始めているのですが、
少しスペースがあった2階がまた満杯になりました。
そりゃあそうやなぁ。ドンドン作るけど、売れるのは、年に数枚。
貯まる一方です。それにこの頃は、またキューブがおもしろいなんていって作り始めているから、これは危険信号です。

今回、絵が1枚売れました。
『燃えあがる』(15万円なり)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年9月 5日 (火曜日)

鍼灸院のコマーシャル

8月は、各地で展覧会とワークショップ、テレビやラジオの取材で忙しい毎日だった。
秋らしくなって、コオロギの羽音を聞きながら気になってくるのは、鍼灸院の収入です。
そこで、「鍼灸院みつしま」のチラシを作ってもらうことにしました。
ブログぐらいはチラシにも載せておきたいということになり、急遽アドレスを取得することにしました。
http://mitsushima.txt-nifty.com/hari/

そして、水戸から帰ってきたら早速その反応がありました。
予約の電話が鳴りやまないというのではありません。1本だけ掛かってきた電話は、
広告代理店からのものでした。
郵便局のキャッシュコーナーに設置されている紙袋にコマーシャルを載せてくれるというものです。
現金を入れて持ち帰るあの封筒です。
1万枚作ってくれて地元の郵便局に置いてくれるらしい。
料金は、何と165,000円だそうです。
しっかりブログの記事を読んでリサーチしてきた様子でしたが、低調に断りしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 3日 (月曜日)

CSデザイン賞 奨励賞

奨励賞って何だ!!
そんな賞は用意されていなかったはず。
CSデザイン賞2006
http://www.design-awards.jp/2006/cs_design.ai

ぼくが、いつも使っているカッティングシートのメーカーが、2年ごとに実施している
公募展の入賞通知が封書で届いた。いくつかの作品を応募していたのだ……。

早速、封書の中身をスキャナに乗せ、活字OCRソフトで読み取ってみた。
「ご入賞おめでとうございます。」
という文章は読み取れたが、「部門」とか、「賞」という文字はあっても
、何部門で、どんな賞に入賞したのか読み取れない。
結局、中川ケミカルに電話で問い合わすことにした。

コンピュータが読めなかった文字は、「奨励賞」だった。
文字がかすれていたとか、にじんでいたとかで読めなかったのかなぁ。謎だ。
聞きにくかったが、賞金のことにも触れてみた。
向こうも言いにくそうに、
「賞状は間違いなく出ますよ」
ということだった。
なーんや。50万ぐらい稼ぐつもりでいたのに。
当てはまる部門がないから、特に今回だけ作られた賞だったのだ。
審査員の間でも話題にはなったことは間違いないらしい。
でもなぁ。これでは、見えへんのにがんばってるから「励ましにあげま賞」だ
喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからない。
たくさんの作品の中で、審査員のめに触れただけでもいいことにするか。

気分を変えるために、ブログのデザインを変更してみた。
大賞でも取れれば、花火にでもするのだが、ダークなイメージにした。
特に文字が読みにくいとかあったらご意見ください。

| | コメント (4)

2006年6月21日 (水曜日)

ミクシィに反映できた

やっとミクシィに、このブログが反映できた。
ココログのサポートにメールで問い合わせたら、丁寧に教えてくれた。ちょっとしたことなのに、教えてもらわないとできないんだなあ。
でも解決して、気分もスッキリ。
どうもぼくは人に教えてもらうのが好きではない。
でも、聞いてみたらなんてことないのに、あれやこれや自分で悩んでいるなぁ。
そういうと、道に迷ったときも人に聞くときはかなり緊張している。
その分解決したときもうれしい。

ミクシィのページに合わせて、コメントの並び順を古いものが上に来るようにしました。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年6月20日 (火曜日)

ミクシィ

週の前半は、東京の大学で講義。
後半は、京都で鍼治療。
こんな生活もなかなかいいなあ。

東京では触覚連画の仲間、中村さんや安斎さんに再会。
みんなミクシィで盛り上がっていることを知る。
ぼくは、やっとブログを始めたばかりだというのに。少しあわててしまう。
紹介を受けてミクシィに入会し、このブログもリンクしてしまった。
でもなんだかよくわかっていない。そんな状態だ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土曜日)

窓を全開

さて、これでミクシーにこのブログの更新通知が、反映できるかな。
これまでタイトルにあるように、できるだけ窓を少しだけ開けて、最小限の公開設定にしてきた。
ミクシーへの入会にあたり、この設定がじゃまをしているらしいことがわかった。
それで一転して、窓を全開にしてみた。
風通しよすぎるかもしれないな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 9日 (金曜日)

梅雨入りで気分が滅入っているのかなぁ

なかなか記事が書けない。いまいち、体調が優れないのだろうか?
自分でもよくわかってないのだ。
でも、鍼の仕事はちゃんとやってるし、来週の東京行きの準備もしている。

先週の土曜日から、栃木県のもうひとつの美術館で展覧会が始まっている。
川越で展示した『わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる』や、
かなり古い作品も展示してもらっている。全部で何点ぐらいになったのか、よくわかっていないのだが、
40点ぐらいは発送している。相当のボリュームになっているはずだ。

廃校になった小学校の教室を使っての展示だが、どんな風になっているのか楽しみだ。
8月最初の土曜日には、ワークショップとライブペイントをさせてもらう。
まもなく正式に案内をアップします。

来週の前半は、早稲田と八王子の造形大でゲスト講義をさせてもらう。
久しぶりに学生を相手にお話しができるので、楽しみだ。
その次の週は大阪の中学。
このところ、毎年6月にこのような講義が舞い込んでくる。
報告の記事をお楽しみに。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月 3日 (土曜日)

ご心配お掛けしています

一週間もブログへの投稿をサボってしまいました。
「二人展終了後、毎日覗いているがまったく書き込みがないので、心配してます」
という個人メールをいただきました。ブロガー失格ですね。
3日に一度は更新するというのを、自分なりの目標にしてましたが、プッツリ緊張の糸が
切れてしまいました。

遅まきながら、二人展に来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
年に1度は、京都のどこかで作品を発表するようにしています。
また次の機会にもよろしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月16日 (火曜日)

おてらハウスの初日

午前11時過ぎ。一番目のお客さんは、鍼の患者さんでもあり、このブログでもときどきコメントしてくれるnoppoさんでした。
午後から朝日新聞の取材を受けました。

ちょっと反省は、タイトルの「街のエロティシズム」をうまく説明できないこと。
舟橋さんの作品との絡みがいまいち見えにくいことです。
取材を受けてみてハッキリしてきたことです。

おてらハウスを出て舟橋さんとまほろばへ。
飲みながら、いろいろ話していてわかってきたのは、
ぼくのエロティシズムは、まだまだ未成熟だということです。
舟橋さんの絵の説明を聞いていると、かなり鮮烈。
根源的ですね。
ぼくはやっぱりそこまでさらけ出せない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月13日 (木曜日)

曇り空

いま気分が、少したれ込めている。 原因はわかっている。いずれもぼくの力ではどうしようもないことだ。 1つは、アート関係で、物事が決まらずに停滞したまま。 もう1つは、鍼の仕事のこと。

やっぱり散歩でもして体を動かして待つしかないかなあ。 ダンベルも始めている。 木曜は、鍼の予約を昼からにしているので、どうどうと散歩に出かけた。 このあいだのコースを少し延ばしてみた。 室町通りを北大路に出る前に、紫明小学校を通り過ぎるのだが、その小学校を一周して、また紫明通りに戻ることにした。 3800歩、40分ぐらい掛かっている。 もう少し、歩幅を広げて、早足で歩かないと運動にならないなあ。 道に慣れてくるとかなり早足になれる。 6年前、脳梗塞で入院して以来、歩幅は確実に狭くなっている。

今日は、曇り空。カラスがやたらと鳴いていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 3日 (月曜日)

散歩道

ああ、またキャンセル!!治療室が暇だ。 こんなとき、本当は電話予約をひたすら待ちながら、パソコンにでも向かっているのが一番効率的なのだろ