2007年9月13日 (木曜日)

メモ帳の音

個展会場での店番というか、見に来てくれた人への対応にもかなり慣れてきたようだ。
考えてみれば、始めて個展をしたのも9年前のこのはねうさぎだった。グループ展も合わせると、今回で4回目になる。
最初の頃は、来てくれた人とどんな話しをすればいいんだろうとか、こちらから声を掛けるのは難しいなとか、けっこう緊張して臨んでいた。

今回は、ぼくが座っている椅子の近くに、タイトルやコメントを書いてもらうためのメモ帳が置いてある。
絵の枚数だけのメモ帳が箱に入れてあるので、何かを書こうとする人は、そのはこの中から目当てのメモ帳を探し出さなければならない。
当然、コトコトという出し入れの音がする。この音が合図となって、ぼくは、
「今回の絵にはタイトルを付けなかったのですが……」
というような話しかけをすることができる。
こうして、話しのきっかけをこちらから作ることができるのだ。
思わぬメモ帳効果である。

もう一つ、思わぬ効果を生み出しているのが、絵の立体コピーだ。
見えない人が来たときに、立体コピーで絵を触ってもらおうと用意した。作品に付けた番号も、この立体コピーにも点字で貼り付けてある。

「18番の絵が好きです」
と話しかけられたとしよう。ぼくは、即座に立体コピーを手にしてその番号の絵を探す。
おおよその輪郭は、この立体コピーで十分わかるし、触っている内にその絵を思い出せる。
そして、この絵のどういうところが気に入ってもらえたのかなどの話しを聞くことができる。
もしこの立体コピーを用意していなければ、わざわざ原画のところまで足を運んで、実際にぼくがさわってみないとなかなか話しが通じないことになる。
自分の手で絵にダメージを与えてしまったり、額をゆがめてしまったのでは、笑うに笑えないことになる。

冷えない人の来観者にと思って作った立体コピーだが、一番役にたっているのは、ぼく自身なのである。

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2007年8月17日 (金曜日)

こんな感じで展覧会やってみようかな

プレスリリースを実際に書き始めてやっとどんな展覧会にしようかと真剣に考え始めました。
ネットで発表したものを、生で見てもらうだけで価値があるのかと思って、ただ作品を並べておくのでもいいかと思ったりしていたのですが、どうもそれだけでは満足できない気分になっています。
今自分にとって何が一番気になっているのか、関心が向いているのかを考えました。
その結果、ブログで発表して、いろんな人にコメントを付けてもらったときの醍醐味を再現してみたいという気持ちになっています。
見に来てくれた人が、それをおもしろいと思ってくれるかどうかはわからないのですが、何しろ自分でやっていてコメントが付くのが楽しいし、またもう1枚描いてやろうという気持ちになれるんです。
そんなところから、以下のプレスリリースができあがりました。
マスコミ関係の人に重いが伝わればいいのですが、とりあえず告知してくれるところもあるようです。
後は、コメントを付けてもらえる仕組みを考えなければなりません。
手軽にできて多くの人が書き込んでくれる仕組みを思い付いたらぜひご意見下さい。
(プレスリリースの内容については、本文続きをご覧下さい)

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2006年9月23日 (土曜日)

色を使いたいから使います

番組終了後に、掛かってきた電話に触発されていろいろ考えたことを書いています。
その感想の要約は次の通りです。

「作品にいたいたしさを感じる」
「粘土なんかを使って、もっとさわる世界をやった方がいいんじゃないか」

ここでは、「さわる世界をやった方がいいんじゃないか」ということについて書きます。
「いたいたしい」というのもこの触ることを追求しろという裏返しではないかという推論をしています。

ぼくなりに考え直してみると、
「見えないからこそ、粘土でさわる世界を表現してほしいのに、なぜ見える人のまねをして
絵を描こうとするのか」という疑問があるのだと思えてきました。
この疑問は、前からときどき耳にしてきました。
ぼくの答えは、
「粘土に不自由を感じるから、ラインテープやカッティングシートを使い始めた」です。

無理をして色を使っているのではという疑問もあるのだと思います。
答えは、「色を使いたいから使います」です。

ところで、人それぞれに障害者感を持ってますよね。一番多いのは、
「障害者は、純粋で、素直で、正直だ」というものではないでしょうか。
次によく耳にするのは、
「独自の世界を持っていて、健常者からは計り知れないすばらしいものを持っている」
というものでしょう。そして、みえないぼくの場合は、
「触ることで、見える人には計り知れないすばらしい世界を感じているはずだから、
色を使おうとしたり、絵を描くという無理なことはしないでいいんだよ。
見える人のことは意識せずにやりなさい」ということになります。

ぼくは、これらの意見に反発を感じます。同じ世界に存在している限り、
お互い影響を受けているはずです。もちろん、文化の違いはありますが……。

ぼくは見えないから、自分の描いた絵がどんな風に見えますか、と問いかけます。
見える画家ならあまり聞かないでしょう。自分で見えるわけですから。
ぼくは、それを聞いてしまう。そしてその見え方を聞くことで次の絵が想像できる。
そんな書き方をだれもしてないから、見える人を気にし過ぎると言われるのでしょう。
そこにいたいたしさを感じているのかな。
それに対する答えは、
「見える世界を知りたいから。そして見えない世界を伝えたいから」です。

と、ここまで書き進めてくると、ぼくはかなり困難な、人に理解しにくいやり方で
作品を発表してきているんだなと気づきました。
かなり険しいジグザグ山道に分け入ってしまってるようです。

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2006年8月29日 (火曜日)

『手を伸ばせばそこに』

水戸芸術館で、ワークショップと公開制作をしてきました。
ワークショップ担当の学芸員は、森山さん、
公開制作担当は、今回の「ライフ」展を企画した高橋さんでした。
ワークショップもたくさん企画されているし、展覧会でもいろんな新しい試みをされていて、みなさん器が大きいというか、
自由にものを考えられる人たちだったので、とてもいい時間を過ごさせていただきました。
たぶん、参加してくれた人や見に来てくれた人も、かなりの満足度ではなかったかと自画自賛しています。

ここでは、27日・日曜の午前10時から描き始めた『手を伸ばせばそこに』という
タイトルの作品を紹介します。会期中だけ存在する作品です。どうぞご覧ください。
Sany0017
Sany0012

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2006年8月14日 (月曜日)

シデロ・イホスを聴きながら

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土曜日12日は、兵庫県美での公開制作でした。
音の作家、原田和男さんの展覧会に、飛び入りスケッチという感じです。

展覧会場から、原田さんの鉄の楽器をエントランスホールに持ちだして、笛と三味線の演奏家も交えてのジョイントコンサートです。
ぼくはその片隅で、90センチ×180センチの作業台と椅子を用意してもらって、
50センチ四方の板パネルに5枚描きました。

今回も、阿部さんがアシスタントをしてくれました。
少し、公開制作のときのアシスタントの役割について書いておきます。
それは、オペ室のナースの役割です。
ぼくは、医者のように偉そうにしているつもりではないけど、
「赤の2mm」とか指示して、使い終わったテープをテーブルの上に置いて、次のテープを受け取ります。
ぼくが、次に何を使うかはなかなか予想困難だと思うので、この役割もかなり集中力を必要とします。
音のイメージをたどりたいので、かなりスピーディーに次から次へと描き進めます。
まだ描き終わらない内に、次の指示をつぶやいていることもあります。

カッティングシート・丸シール・ラインテープ。それにハサミやカッターナイフを置いた
場所がわからなくなって探していたら、それも手渡さなければならないし、すでに貼った
テープの色をぼくが忘れてしまったら、それもそっと伝えなければならない。
ライブのときには、頭の3分の1ぐらいは、音が流れています。
残りの3分の2では、いまたどっているかたちと色と、そしていままで描いてきたイメージ。それらが頭の中でグルグル回っているので、つい全体のイメージ、特に色合いを忘れて前へ前へ進んでいきます。
あっ! どんな色を使ってこの画面を構成していただろうかと混乱することがあるのです。
そんなときにもアシスタントに登場してもらいます。
短い言葉で、画面がどんな風に進んでいるかを説明してもらうのです。
アシスタントの仕事は大変です。こうして文章にしてみて初めて気が付きました。
阿部さん、ごくろうさまです。
家で一人で描いているときより、ぼくは、うんと楽をしています。
もっとアシスタント代を弾まなくてはならないかなぁ。

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2006年8月 7日 (月曜日)

まずはもうひとつの美術館

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1週間ほど、留守をしていました。
今回は、ノートパソコンを持って出かけたので、宿からいろいろ発信するつもりでしたが、
東京の宿泊先は、「全館インターネットラン対応」と書いてあったんですが、
どうしてもサーバーに繋がらない。フロントに聞いたら、最近繋がりにくいんですとの応え。しかし、繋がりにくいではなくまったく繋がりませんでした。
おまけにぼくは、安心していて、フォーマとパソコンを繋ぐケーブルを持っていませんでした。
そんなわけで、前半3日間は、ミューズカンパニーのワークショップに出るだけというわりと余裕ある時間を過ごして、
後半の「もうひとつの美術館」でのワークショップとライブパフォーマンス、NHKの取材に備えました。

1日に東京駅に降り立ったときは、何と涼しい、東京は夏を通り越して秋になってしまったかという感じでした。
それが日に日に暑くなり、4日に栃木に移動したときがピークでした。
涼しいと思って行った那須高原は猛暑。
おまけに、廃校になった小学校跡の美術館には、クーラーはありません。
暑さとの戦いになりましたが、実際にワークショップや描いているときには、そんなに暑さを感じないものですね。自然の風と扇風機で過ごせました。
もっとも、参加者の人が一番我慢してもらっていたかもしれませんが……。

昨日京都に帰ってきたら、38度とか。やっぱり京都は暑い、蒸し暑い!!Sany0021_1Photo_6

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2006年7月 4日 (火曜日)

触覚連画のみなさまへ

公募展といえばこんな情報が舞い込んできました。
触覚連画のみなさん、どうですか。なんかおもしろいことできないかな!?
でも、安斎さんや中村さんは、展覧会ってあまりやらないんでしたね。

滋賀県近江八幡にあるボーダレス・アートギャラリーNO-MAが
展覧会の企画応募をしています。
250万円ぐらいの展覧会予算が使えるようです。
内容的には、「ボーダレス」つまり、障害の有無をこえていく企画が求められています。
詳しくは、
http://no-ma.jp/kikaku/index.html
 をご覧ください。締切は今月末だそうです。

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2006年5月27日 (土曜日)

底のないかたち

二人展が始まって10日が過ぎる。
今回、耳にしない言葉がある。
「ピカソみたい。マチスのようだ」
そういう評価を聞かないのだ。
いろんな有名作家にたとえて言われると、うれしいような、くやしいようなふしぎな気分になる。

来場者の感想を聞いていると、どうもキューブかおもしろいらしい。
どこまでも繋がっている。
置き方によって、いろんな風に見える。
そんな風に言われているようだ。
こういうスタイルの作品は、あまり例がないのだろうか。
普段、画集を見たり、美術史を学んだりしないぼくにはよくわからないので、詳しい人がいたら教えてほしい。

粘土をやっていた頃、ワークショップで西村陽平氏が課題にしていたことがある。
それは、「底のないかたちを作りましょう」というものだ。
ぼくの粘土作品にもそういう試みのものがいくつかある。
粘土を積み上げていくには、必ず底になる部分が必要だ。
かたちを保つためにも、どうしてもしっかりした底を作ってその上に積み上げて行かなければならない。
底のないかたちを粘土で作るには、途中で適度に粘土を乾かして、横倒しにしてもかたちが変形しないようにする。
そして、さっきまで底になっていた部分に粘土を付けて、底となる部分から新たなかたちを積み上げていくのだ。

ぼくの作ったのは、球体に近いようなものと、もう1つは、ぺたんとした魚でいうとエイのようなかたちのものだった。
西村氏の話しでは、現代の彫刻は、台座と言うようなものを捨てようとしていると聞いたような覚えがある。
たぶん、額とか台座は、もう古くさいものなのだろう。
ぼくはと言えば、額に入るとよく見えるとか、台座への収まりがいいというようなことは、さわっていてもピントこないのだ。

話しを戻すと、今回のキューブ作品は、底になる部分がない。
もちろん、書き始めの場所は決まっている。
粘土のように乾くのを待たずして、次から次へと、キューブを回転させながら描けるのがスピーディーだ。
さっきまで描いていたところが、底になったり、側面になっていたりする。

キューブに描いていて、直角のラインを越えて次の平面へ差しかかるとき、思わぬ快感を感じてしまった。
新たな地平を切り開くというか、スケッチブックなら新たなページを開くときのような快感に似ているかもしれない。
キューブを転がすごとに、そういう新鮮さを感じるのだ。
けっして色あせない新たな地平が待っていてくれる。
飽きっぽいぼくにはもってこいだ。
どうだろう。見ている人もそんな快感を道連れに鑑賞しているのだろうか。

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2006年5月23日 (火曜日)

二人展の感想

また雨ですね。5月の後半はきっと晴天続きだと思って、
この時期に二人展を予定したのにまったく外れです。

 舟橋さんのウェブの「日記」に、今回の二人展についてのすてきな感想がアップされました。
舟橋さんの絵の謎を解く意味でもどうぞご覧ください。
 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/funya/eiji2/top.html

メールではいろいろ感想いただいてます。このブログにもぜひ直接コメント書き込んでください。
お待ちしてます。暫くブログにアクセスしにくい状態が続いていたことも影響しているかなあ。
昼間はいいのですが、夜の混雑する時間帯になると、極端に接続に時間が掛かって
フリーズしたような状態になってました。少し改善されて来たようですが。

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2006年5月20日 (土曜日)

さらさで4枚描きました

木曜は、飛び入りスケッチでした。
 7時45分頃スタート。すでに客席は満席だったように思います。

1曲目が終わったところで、ロビンさんに飛び入りスケッチをやっていることを紹介してもらいました。
たぶんその時点では、スタッフも、お客さんも何のことだわからなかったと思います。
前半のステージが、40分ぐらい。
すでにCDで聴いていた曲もあり、サウンドのイメージとボーカルは、予想通り。
さわやかな声で風を歌っていた。やっぱり飯塚あかねさんの声は、青色だ!! と思った。

予習効果もあって、休憩に入るまでに2枚ができあがった。
ほっと一息。書き終えたものを壁に貼ってもらった。
これでロビンさんも安心してくれたかな。
聴きに来た人にも、何をやっているのかが伝わっただろう。

ぼくの周辺には、大阪方面から駆けつけてくれた人ぼ含めて、知り合いが3人。
心強かった。
阿部さんには制作のアシスタントをお願いしていた。
すばやく描かなければならない。
青色を引いている内に次の色を決めて阿部さんにオーダーを出す。
頭はフル回転。感性も全開。
ところが予想外の事態。
ライブ空間なので証明が暗い。
黄色と白など阿部さんのめには区別がつかなくなった
でも、ラインテープのケースには、点字で色名を書いていたので命拾い。

後半は、まずロビンさんの登場。
カリンバの音をかたちにしようとしている内に、ボーカルが加わり、
アフリカ音楽の子守歌など始まった。イメージが次から次へと変わっていくので、
少しとまどいながらも、カリンバと声のイメージで1枚描き終えた。

最後のステージは、全員でのセッション。
いろんな音の工作する様子を描き留めようと悪戦苦闘
サウンドも体になじんできたので、ゆったりとした気分で描いていたら、あっという間にラストの曲が始まっていた。
アンコール曲を聴きながら、4枚目が完成。

壁に貼って鑑賞してもらった。
音は、その場で消えていく。音をかたちにして見てもらう、触ってもらうと、その余韻を楽しんでもらえたのではないだろうか。
と、かってに思っているのだが……。

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2006年5月16日 (火曜日)

90センチは大きいよ!!

11時過ぎ、すでに伏見工芸の和田さんが大型キューブを持っておてらハウスで待っていてくれた。
和田さんが作ってくれたのは、強化ダンボールで作った90センチ四方の板を、マジックテープで組み立てられるようになっているものだった。
これなら分解して、家にも持って帰れる。
しかし、思ったより大きい!!

ぼくがこのキューブに取りかかったのは、昼食を済ませて、午後2時過ぎだ。
あまりの存在感に手も足も出なくて、1時間ほどは、その周りをグルグル回っていた。
少し描いては、キューブを裏向けたり回転させてはすでに描いたかたちを確認するのだが、描いても描いてもまた新たな空間が現れてくる。
キューブを回しているつもりが、自分の頭がその回転についていけず、やたらと疲労ばかりが蓄積してしまったようだ。

『宇宙を楽しむキューブ』というタイトルを先に付けてしまったが、なんとなくそういうイメージに仕上がっただろうか。
終わったのは、午後9時半頃。予定では、7時頃には完成予定だったのだが、ちょっと壁面のようなわけにはいかなかった。
展示台に置いた30センチのキューブをさわると、なんとなつかしいことか。
軽く持ち上げられるし、くるくる回して鑑賞できる。かわいいよ!!
90センチに挑戦は、少し無理をし過ぎたかなあ。疲労困憊。

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2006年5月15日 (月曜日)

キューブ10個完成

4月30日から作り始めていた、30センチ四方のキューブ10個が、今日完成した。
ちょうど2週間掛かってしまった。
フンデルトヴァッサーが悪いのだ。彼のグルグルをビューのツアーでみて(言葉で鑑賞)してしまったからだ。
やっぱり、制作中に心を動かされるものを体感すると、それを消化するまでに時間が必要になる。
自分の世界に戻って来られないのだ。それだけ彼のグルグルのエネルギーは大きかった。
でも、とにかく究極のグルグルを描いて、なんとかこの危機を乗り越えたつもりだ。

今回のキューブ作品には、底というものがない。どういう方向に置いてもいい。
というか、6面全部に描いているので、持ち上げて回転させないと全体が見えないようになっている。
無重力状態で空間に浮かして鑑賞してもらうのがベストだ。

タイトルだけを列挙してみる。
『渦巻きの表裏』
『渦巻きの行方』
『究極のグルグル』
『アトリエ・マウルへ』
『注いで注がれて』
『白い顔』
『鼻孔』
『うずくまる』
『抱き合う樹1』
『抱き合う樹2』

明日、会場で描く90センチ四方の大きなキューブにも名前だけ付けてしまった。
キャプションを、早くプリントアウトしてしまいたいという要望に、応えなければならなかったからだ。
そのタイトルは、
『宇宙を楽しむキューブ』である。

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2006年5月 9日 (火曜日)

フンデルトヴァッサーのグルグル

一昨日、お知らせにも書いていたフンデルトヴァッサー展に行ってきました。
あいにくの雨だったが、東京のMARのメンバーの飛び入り、神戸や香川からの参加もあり、30人以上の大所帯となった。
やっと、ぼくたちの活動も、美術館に理解してもらえてきたようだ。
今回は、会議室も提供していただき、お昼ご飯を食べながら感想も話し合うことができた。
ゆったりしたツアーになったと思う。

ぼくはビューメンバーなので、本来なら参加者をもてなす側なのだが、いつもツアーでは、一参加者になり切って楽しませてもらっている。
3、4人が1つのチームで回るのだが、その組み合わせによってずいぶん雰囲気が変わる。
いい感じで進むかどうかは、組み合わせだけではない。その日の気分、作品によっても変わる。
ようするにやってみないとわからないのだ。
でも今回はなかなかすばらしい鑑賞ができたと思う。

Iさんは、元編集者の男性。
Hさんは、初参加の女性。

Iさんは、文章を扱うように、作品を前にしてどこから切り込んでやろうかと一言一言言葉を選ぶ。
Hさんは、感覚的な言葉を操って、鋭い切り口で作品の印象を伝えてくる。

ぼくも気合いが入っていた。
なぜかというと、フンデルトヴァッサーは、直線を嫌う。そしてグルグルの渦巻きを描くという情報を事前に得ていたからだ。
ぼくは、直線用のラインテープを使っても、いつもラインはフラフラ歪んでいく。
行き詰まるといつもグルグルを描いて切り抜ける。
しかし、グルグル渦巻きを描いているとなぜか元気が出てくる。

今回はこの渦巻きにこだわって作品を鑑賞しようと始めから決めていたのだ。
彼の若い頃の作品と建築模型をみた後、
いよいよグルグルの作品にたどり着いた。
なんと、ビューメンバーの大向さんが作ってくれた点図の1枚にも、渦巻きがあるではないか。
これで、言葉と照らし合わせながら、かたちもたどりながら鑑賞できるのだ。すばらしい。

ぼくは、渦巻きを描こうとするとき、なるべく均質に描こうとしている。
実際には均質にならないところがおもしろいのだろうが、本人としては、きれいな円を描こうとしている。
フンデルトヴァッサーは、わざとひずましている。円ではなくて、四角いのや楕円の渦巻きもあった。
ぼくが注目したのは、グルグルのたどり着く集約点だ。外から描き始めて中心に向かう
こともあるが、逆に外に広がっていく動きもあると思う。
しかし、それらの最後をどのように終わらせるかでぼくは、いつも悩む。
この終わらせ方には、大いにヒントをもらった。
次のぼくの作品でそのあたりを表現できればと思うのだが、いまは彼のパワーにやられてしまってまだ描き始められないでいる。

最後に、彼のインタビューのビデオを上映しているコーナーがあった。
字幕をIさんに読んでもらいながら、Hさんに画像の説明をしてもらった。
ステレオ放送だ。
あまり時間がなくて15分ぐらいだったが、彼の発言を直接聞けてよかった。
そこでは、やはり渦巻きに触れていた。
生命力とか根源的なものを表しているというようなメッセージがあった。
ぼくがグルグルを描いて元気になるのもそういうことなのだろう。

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『歩くエロティシズム』その2

次に描いたのは、赤いハイヒールと白い杖。
ハイヒールと杖だけが歩いている。シュールでしょう!!

ハイヒールがなぜエロイの? と思われるかもしれません。
ハイヒールには少し特別な意味がある。
ヒールの音だ。ぼくにはヒールの音が女性を暗示させるし、
そのコツコツの音とコロンの香りが、ぼくを追い抜いていく。

最近は、追い抜かれてもなんとも思わなくなったが、
若い頃は、男らしさのジェンダーを刺激されてふしぎな感覚に陥っていた。
見えないから歩いていてもいろんな人に追い抜かれる。それはけっこう屈辱的だ。
女性に追い抜かれるとなおさら悔しいのだ。
いつの頃からか、そんな悔しさはどこかへいってしまった。
しかし、コツコツを追いかけ、その音を目印にして歩く。
そんなゲーム感覚だけは、いまでも残っている。

ヒールの音は、音源がクリアなので、追いかけやすい。
適度な距離、7、8メートルを保ちながら追いかける。
音を頼りに歩くのはらくちんなのだ。

まあ痴漢と間違えられることはないだろうと思っているのだが……あまいかなあ。

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2006年4月26日 (水曜日)

『歩くエロティシズム』その1

横に、10メートル続く作品完成。
タイトルは、『歩くエロティシズム』にしようかなあ。
今回のテーマは、街とエロティシズムなので、ぼくは散歩コースを決めて何度も一人で
歩きながら、エロティックなものを感じるように心がけた。
その結果がこの作品というわけだ。

どこかから、
「あまりすごいの描くと、みんな手引きしてくれなくなるよ」という声が聞こえてきた。
困ったなあ。

最初と最後にイヤらしい点字ブロックが登場する。
続いて鳥居。なぜか舟橋さんの写真の中に平安神宮の鳥居というのがあった。
なんでこれがエロティックなのか。よくわからない。
ぼくの解釈では、なにかの間を通り抜けて行くというのが、エロティックなのだと思っている。
なので、いくつもの鳥居が立ち並ぶ伏見の「おいなりさん」の千本鳥居を思い出して描いた。
盲学校の頃、伏見の方から通っていた友人に連れられて、いくつもの鳥居を抜けて山歩きしたことがあるのだ。

続いて身体の穴。
ここには、金網のイメージを重ねている。
ある人に見せたら、限りなくいやらしいと言われた。
ドットを使ってかわいく描いたのになあ。

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2006年4月23日 (日曜日)

スロープに伸びる作品

阿部さんにお願いして、A3ケント紙、横置きで25枚を蛇腹状に製本用テープで繋げてもらう。
これで横にほぼ10メートルの紙ができあがった。
大きな壁面に描くように、まずは、ラインテープで始めから最後まで、
青と赤のラインを2本引いた。

さて、ここに「街のエロティシズム」を描かなければならない。
この長いケント紙をギャラリーのスロープ部分に展示するつもりだ。
できればこれを立体コピーに撮ってさわれる高さに展示しようかなあ。

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2006年4月22日 (土曜日)

強化ダンボールでキューブを作る

午後、伏見工芸の和田さんがキューブを2つ届けてくれた。
おてらハウスの二人展に出品する作品に使うものだ。
今回は、強化ダンボールで作ってもらった。

厚さ10ミリらしいのだが、受け取った瞬間その軽さにビックリ。
こういう軽いのがほしかったのだ。
中が空洞なので、叩くといい音がする。
後8個作ってもらい、全部で10個で作品を構成するつもりだ。

それとは別に、特大の90センチ四方ぐらいのも作ってもらう予定なのだが、
そんなに大きなサイズでは、内の鍼灸院の入り口も通過できない。
会場で制作するにしても終わってからはどうする? きっと和田さんがいいこと考えてくれるだろう。

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2006年3月31日 (金曜日)

「タッチ、アート!体感する美術展」の感想より

すでに3月26日で終わってしまったのですが、
川越市立美術館でおこなわれていた「タッチ、アート展」に行ってくださった
附属盲の工藤さんからとても興味深いレポートをいただきました。
少し長いですが、全文を紹介させていただきます。
なお、この文章は、jarviメーリングリストに投稿されたものを、加筆訂正していただき、このブログへの掲載を許可いただきました。
ありがとうございます。

-------ここから--------

その日ぼくは過密なスケジュールもものともせずに川越市立美術館に向かった。なぜなら今開催されている企画展「タッチ、アート!体感する美術展」の期間が残すところ後2週間に迫っていたからである。
 予定より遅れて午後4時に到着したが、それでもなんとか2時間は鑑賞時間を確保できそうだった。ところが、
 「あれえ? 5時で閉館なのぉ?」
 何の根拠もなく「閉館時刻は午後6時」と勝手に思い込んでいたぼくは、あまりのショックにしばし呆然と立ちすくんでしまったのだった。
 この美術館は意外に広くて、丁寧に見学すると半日はかかりそうだった。しかし、今は4時で、閉館時刻は5時。1時間しかないということで、今日は触覚、嗅覚、聴覚で鑑賞できる作品に絞って鑑賞することにした。

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2006年3月23日 (木曜日)

あおぞらに抜ける道

19日・日曜と、21日火曜日、集中して作品を2つ完成しました。
1枚は、透明のアクリル板。厚さ5ミリ、縦69センチ、横89センチです。
タイトルは、『あおぞらに抜ける道II.』です。
なぜII.かというと、今年1月に同じテーマでスケッチブックに描いているから2枚目になるわけです。

 5月におてらハウスで、二人展をやることは以前に書きましたが、その相手方、舟橋さんの自宅に向かう道のイメージなんです。
今出川通りから思文閣美術館のところの路地を抜けて行くのですが、その路地がとても気に入っています。
たぶん途中までは、ビルに囲まれているのでしょう。ある地点までくると、急激に空が広がって、頭の上が軽く感じる場所があるのです。
風も漂ってくるし、天気のいい日なら日差しも感じるし、鳥もさえずっていたりします。
とても開放感のある瞬間なのです。そのイメージをずいぶん前から絵にしたいと暖めていたのですが、なかなかいい描き方が見つかりませんでした。

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2006年3月15日 (水曜日)

おてらハウスでの二人展

3月12日・日曜日。ビューのミーティングの後、おてらハウスでの展覧会の打ち合わせをしました。
今回、舟橋英次さんとのコラボレーション? 二人展です。
まだ先の話、5月16日 28日ですが、
ぼくの覚え書きとして、そして、読者のみなさまへの記事としても、その準備過程を報告していきたいと思います。

舟橋さんは、このブログのプロフィールのページからも「人リスト」でホームページリンクさせてもらってます。
古い付き合いです。ぼくが絵を描き始める前からの飲み友達。もっとさかのぼると、鍼の患者さんでもあります。

おてらハウスというのは、昨年秋にオープンしたお寺の境内の中にあるギャラリーです。
http://www.oterahouse.com/
ブログからも、おしょうさんにトラックバックしてもらってます。
1階が、カフェになっています。ギャラリーは、2階にあります。スロープで上がり、階段で降りてくるようになっています。
作品を展示するための棚が備え付けられていたり、吹き抜けの部分があったりして、かなり作りに凝っているので、うまく使いこなすのが難しいなあという印象です。

さて、どんな展示にしていくのか。少し打ち合わせの内容を紹介してみます。

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2006年3月 7日 (火曜日)

ミュージアム・アクセス・とーくる のページ タッチ、アート!体感する美術展

とーくるさん、コメントありがとうございます。トラックバックというのを試みてみました。うまくいってるかなあ。
 このブログの最後のところでリンクさせてもらっている
ミュージアム・アクセス・とーくるのページで、「タッチ、アート展」についての感想を書いてもらってます。
http://talkru.blog38.fc2.com/blog-entry-33.html
富山近美の「マリー・ローランサン展」のミニツアーを試みられたり、地元の視覚障害者とも連携をとりながら、活動が広がっているようですね。期待してます。

もうひとつの記事でも、とーくるさんの名前で書いておられますが、東京のオペラシティアートギャラリーで「アートと話す アートを話す」という展覧会を見られたんですね。
ぼくもちょうど川越に行く途中でこの展覧会に立ち寄ってました。
会場で配布されていたワークシートには、抽象画を言葉で鑑賞するときの手がかりが、ちりばめられていたように思います。
抽象画の前に立つとき、そういう表現に慣れていない人だと、言葉に詰まってしまうようです。
こちらから、いろいろ言葉を引き出そうとするのですが、抽象的な表現はすごく難しいものだと思いこんでおられるようです。
そういうときに、ヒントになりそうな切り口が、あのワークシートには書かれていたのではないでしょうか。色は、何種類ぐらい使われているのか? その色は明るい感じの色なのか? そんなことから話しは広がっていくのではないかと思います。
ビューのメンバーの1人もあのワークシートを購入して帰ってますので、今後の鑑賞ツアーに役立ててくれるといいなあと思っています。

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2006年2月 7日 (火曜日)

制作ノート

この文章は、「タッチ、アート!体感する美術展」の図録に掲載するために書いたものです。
図録には、作品の写真もありますので、合わせてご覧ください。

■制作ノート
 『わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる』

講演など頼まれると、どうしても話のとっかかりの部分で、自分自身の生い立ちをしゃべることになる。
何度も同じことを話していると、内容が色あせて感じてくる。
それならば、賞味期限の切れた記憶を、もう一度絵によって鮮やかによみがえらせてみようかというのが、今回の思いつきだ。
ひょっとしたらぼくは、人生で何度目かの転機を迎えているのかもしれない。
いままで引きずってきたものを断ち切って、新しい一歩を踏み出す準備をしているのだろうか。

作品の設置場所は、タッチ・コーナーにさせてもらった。
ギャラリーTOMの展示台を参考にして作られたという、壁面に沿って連なる木製の台は、作品をたどっていくのにもってこいの空間だ。
いつもは、壁面に垂直に並べている触覚絵画だが、全長10メートル以上にも及ぶと、触って鑑賞する人からは、手がだるくなったと言われたことが何度かあった。
日頃から、もう少し、いい条件で触ってほしいなあと思っていたので、このコーナーを下見してすぐに飛びついた。
部屋の3辺に連なる展示台は、点字ブロックなどの誘導がなくても、見えない人が1人でその展示台をたどって、行ったり来たりできる。
自分のペースで作品が触れるのである。
手引きの人に遠慮しながら作品を触る必要はない。そういった意味でもこの空間はとても自由だ。

「大きな作品は描かないのですか」とある展覧会場で聞かれたのは、描き出して、3年目ぐらいだっただろうか。
それならということで、A3サイズの立体コピーをいろんな方向に繋げて大きな絵にしてみた。
それが、1999年に発表した『指先で街を歩く──京都からギャラリイKまで』だ。
以後、大きな作品の魅力にとりつかれたぼくは、美術館やギャラリーの壁面・ガラス窓・造作してもらったパネルなど、いろんなところで横幅と高さに挑戦してきた。
いつのまにか、大きな画面にも直接描けるようになった。

立体コピーでの作品もたくさん制作してきたが、一番の難点は、色の表現が使えないことだ。
初めて、色つきの作品にウレタン塗装して触れる作品にしたのが、昨年サンディエゴ
美術館に出品した『Walking in the Town by Touch - from the acupuncturist's
studio』だ。
続いて今年ギャラリーはねうさぎで発表した『なにかがやってくる』には、ラミネート加工を施している。
これでやっと、カラーの作品を自由に触ってもらえるようになった。

今回、新しい試みとして、キューブ状の立体に描くことにした。
これこそ、「平面が立体に出会う」瞬間だと思っている。
今後、このようなかたちで、立体を制作していくつもりだ。

最後に、いろいろ新しい実験に快く技術と労を惜しまず提供してくださっている、伏見工芸の和田雅弘さんに感謝の意を記しておきたい。

2005年11月25日

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2006年2月 1日 (水曜日)

29日、川越市美で作品対決

1月29日、日曜は、川越市美で作品対決!!原田和男VS光島貴之という公開制作でした。というよりライブだったかな。
 午前中1回。午後から2回。それぞれ1時間ずつ、計3時間かけて制作しました。
原田さんの作品、音具「シデロイホス」の音をききながら、ぼくが壁面(コーナーを挟んで、14メートルほど)にラインテープで描いていきます。
ぼくは、事前に原田さんのCDを聞きながら、音のイメージをカッティングシートで切り抜いていました。それらを当日着ていた黄色の防寒具に貼り付けて登場です。ここぞと思うところに、切り抜きをはがしてはぺたぺた貼っていきました。
少し行き詰まると、ぼくも、原田さんの鉄の楽器を叩いたりして、気分転換。イメージをため込んで、さらに描き進めます。
とても緊張感のある時間を過ごしました。

脚立に登り、壁面に取り付けられた原田さんの作品にも絡むように描きました。床面にもかなりはみ出しています。
さらに、ぼくは勢い余って予定外の裏側の壁面にまで描き進めてしまいました。
終わりに近づいた頃、ぼくは、どのようにしてこのライブのエンディングを決めようかと悩んでいました。
そしたら、原田さんが自作の金属の円盤を持って登場。これぞと思われる場所に打ち付けてくれました。ぎゅっと作品が引き締まったところで、終わりを迎えることができました。

共演してくれた篠笛の後藤剛史さん、制作のアシスタントをしてくれた阿部こずえさん、どうもありがとうございました。

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2006年1月12日 (木曜日)

川越市美の感想から

 今回、「みつしま通信」で川越市美の案内をさせていただいたら、多くのみなさまから返信をいただきました。ぼくは、オープニングには行けなかったのですが、数人の方から作品の感想も寄せていただきました。ありがとうございます。
ある人からの感想で、
 「でも、私はちょっと物足りない気がしました。作品としての主張が控えめな感じがします。こじんまりとして綺麗にまとまりすぎている気がします。ブログの日記のよう」
というものでした。この感想は、本質を突いているので、ぼくはとても落ち込んでしまいました。
他の作家が、大胆に空間をインスタレーションしているのに比べて、ぼくの「タッチ、アートコーナー」はとても整然としていて、決められた枠に閉じこもっているような印象だったのだと思います。
ぼくは、この「タッチ、アートコーナー」の部屋そのものがとても気に入ってしまったので、その展示台をうまく使いこなすことしか考えていませんでした。
そういうと、下見で訪れたときも、真ん中の空間には作品が展示されてました。しかし、ぼくにとってそれらは、無駄な空間演出だと思われました。
だから今回は、ぐるっと繋がっている展示台だけに注目したわけです。
作品がちまちましたものに見えたのは、壁面や、真ん中の空間をまったく使わなかったからかもしれません。展示を終えたときに学芸員の山田さんが、この真ん中に椅子を置かしてもらっていいかと尋ねられたのも、いまから思うとそういうことを暗示していたのかもしれません。

ですが、ここからは反論です。『わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる』は、ぼくにとっては、新しいスタイルの始まりです。まず、キューブを手がけたこと。
そして、パネルを組み合わせた作品ではありますが、それらは1枚ずつそれぞれの完結した世界を描こうとしています。これまでのように、1本のラインを引いて、それが次への繋がりになるような描き方はあえてしませんでした。たぶんどちらかというと、絵本の1ページのようなイメージで描き進めました。ですから、ぶろぐの日記というのは当たっているかもしれません。
残念なのは、自分ではおもしろがって描いたキューブに、あまり注目してもらえなかったことです。展示方法に工夫が足りなかったのでしょう。今回は、ほとんどだれにも相談せずに転じ方法や配置を決めました。それは、展示台がとてもなれしたしんだギャラリーTOMのものに似ていたからです。やはり、空間を考えた展示アドバイスが必要だったのかなあとこの点については反省しきりです。

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2005年12月22日 (木曜日)

『わがままな記憶をかたちにしてさかのぼる』覚え書き

 今回、A3のパネル25枚とキューブ5つで作品を構成しました。
こういう作り方は初めてですが、覚え書きのようなものを書いて、それに沿って作品を描きました。
その覚え書きを、そのまま作品のタイトルにしています。
あまり説明を好まない人は、作品を見てから読んでもらった方がいいですね。

1(青色キューブ)夕日・月・泥んこ遊びの山・手

2(水色)飛び石のある庭に三輪車
3(水色)目を近づけて見る色紙
4(水色)北大路通りの眼科
5(白色)サングラスで見る世界

6(白色)マーブルチョコレートが散らばる
7(水色)お家と半ズボンの少年
8(白色)家族・4本の木
9(水色)見たような記憶のある行くはずだった報徳小学校の校舎

10(オレンジ色キューブ)混乱する自我

11(水色)点字を書く・点筆
12(白色)イヤな目の手術
13(水色)プラモデルのスポーツカー
14(水色)グループサウンズに夢中

15(オレンジ色キューブ)オープンリールで聴く「ツァラトゥストラ」

16(水色)点字を読む
17(白色)盲人野球/捕球
18(水色)肩の指圧
19(水色)足に鍼

20(青色キューブ)みんなで乾杯

21(水色)白い杖を折りたたむぼく
22(白色)車いすからの抗議
23(白色)ジグザグデモ隊の中にいて
24(水色)ここちよい雨

25(黒色キューブ)2人の息子

26(白色)ゆったりクロール
27(水色)フラービオ・ティトロのスケッチブック
28(白色)ラインテープを切る
29(水色)カッティングシートをカッターナイフで
30(白色)夜明けを待ちきれずに

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2005年11月 7日 (月曜日)

ぼくは、「美術の中のかたち」とこんな風につきあってきた

兵庫県立美術館の季刊誌『アートランブル第8号』に掲載していただいた原稿です。

■ぼくは、「美術の中のかたち」とこんな風につきあってきた

東京に、さわる美術館「ギャラリーTOM」ができた1984年頃から、美術作品、特にさわれるものを探し求めて、野外彫刻展などを散策していた。美術館にも足を運び、さわれそうな彫刻などをなんとかして手にしたいとあせっていたが、館のハードルは高かった。イサム・ノグチの石彫を、白い手袋をして京都の近代美術館でさわったのも、御堂筋の道路沿いに設置されたボテロの『踊り子』を木枯らしの中でかじかむ手でさわったのもその頃だった。

まもなく、名古屋市美術館や、兵庫県立近代美術館でさわれる企画展が始まった。ぼくは、とてもはしゃいだ気分になってそれらの展覧会を訪れた。いまでも覚えているのは、92年の「美術の中のかたち」だ。田中昇さんの石の作品をさわって、その印象を文章に残していた。ぼくは、見えないということにこだわっていた。拙文を紹介しながら、その当時を振り返ってみたい。

■手の中の虹
館内には、小学生の団体が来ていた。

ぼくが、気にいった『虹』という石の作品をゆっくりさわっていると、小学生らしい団体がガヤガヤと入ってきた。
「さあ、みんなさわって、さわって」
という指導員らしい人の声にはあっけにとられてしまったが、暫くしてその中の2、3人がぼくに近寄って来て、子どもどうしでなにやらヒソヒソ話をしている。

まもなく、その中のひとりが、「なにしてんの?」とぼくに問いかけた。
「見えへんからさわってるんや」
なんとか、そう答えてみた。子どもの素朴な質問には、即座に答えるのが難しいものだ。あっけにとられて、思いが言葉にならないうちに、その場面がすぎさってしまうこともよくある。(中略)

今度は、「これ、なに書いてあるの?」と、点字のキャプションのことを聞いているらしい。「これはね」と指で読み聞かせていると、次は、「これは?」と、どうも活字の文章を読めと言っているようだった。
「これは、おっちゃんには読めへん」と言うと、
「見えへんの、かわいそうやなあ」と返してきた。これはたいへん、見えないのが“かわいそう”なんて思われては、ぼくが“かわいそうな人間”になってしまう。あわてた。(中略)

ぼくは気をとりなおし、もう一度この『虹』をしっかり手の中におさめ、頭の中で形を再現できるまでさわり続けた。冷たくて気もちいい、石で作られた虹の橋をたどっていくと、雨に出会い、さらに上へ手を伸ばすと、雲が手にさわれる。
子どもの頃、みんなが「虹が出てる!」と言っているのを聞いて、虹の方向を一生懸命見ようとするのだが、なんとなく見えるような気もするけど、本当には見えていなかった。その時に見えなかった虹を、ぼくは手の中に包み込んで、ほっとした気分になって美術館を後にした。

当時、美術作品はぼくにとって、ひとつの安らぎであったのかもしれない。しかし、「安らぎ」なんて言葉を、頑として拒絶していたので、美術こそ、新しい価値観をぼくの中に持ち込んでくれるものと信じていた。そしてそれは、半分ぐらい真実だった。

最近は、見えなくても、文字による情報は、かなり入ってくるようになった。コンピュータの発達により、パソコンが文字を読み上げてくれるようになり、テキストデータのやりとりには苦労しなくなった。しかし、画像情報は圧倒的に不足している。そういう感覚的な部分で、新しいもの、自分の生活経験では得られないものを、吸収していく手段が視覚障害者には少ない。だから、こういう美術展に出かけて、かたちのおもしろさに触れたり、コンセプチャルな表現に出会うのは、とても重要だ。

あのときさわった「虹」のかたちは、ぼくの中に染み込んでしまったように思う。その水脈は、いまのぼくの描く大きな作品の根底に流れているのかもしれない。

■密かな思い
震災の明くる年、96年、県立千葉盲の生徒作品や、おっとさんの作品などをさわった。ぼくも粘土造形をしたり、ラインテープで描くようになっていた。そして、密かな野心が芽生えた。美術館で、作品を発表できるようになりたいなあ、と思った。そんなこと考えても、無理やなあと思い、打ち消してはみたが、だれにも告げない秘密の野心として存在し続けた。

98年秋、「アート・ナウ ’98ほとばしる表現力−『アウトサイダー・アート』の断面」という展覧会に出品。いよいよ美術館での発表のチャンスだ。しかし、さまざまな障害者の圧倒的な表現力の中で、ぼくの絵は、埋もれてしまっているように感じた。まだまだ、自分の絵のよさも客観的に評価できず、自信もなかったのだ。

このごろ、あのときの「アート・ナウ」で見ましたよ、という話を聞くことがある。見てくれている人は、ちゃんといるものだと改めて喜びを感じる。続けて描いていてこその喜びだ。

■収蔵庫に入る
02年、新築された兵庫県立美術館で、「光島貴之がみる近代彫刻」という展覧会を、「美術の中のかたち」で企画してもらった。収蔵庫に入り、多数の作品をさわった。その中から、ぼくの感覚を呼び覚ますようなブロンズを選んだ。それをモチーフにしてぼくなりの平面を制作した。そして、それらをブロンズと一緒に展示したのだ。

いつかこの展覧会で、ぼくの作品が展示されたらいいなあと思ってきたことが10年越しに現実のこととなった。なんと幸せなことだろう。1人の鑑賞者であるぼくが、作り手となって美術館の箱を満たす役割を果たした。

■空間を埋めるつぶつぶ
今回訪れた「美術の中のかたち」は、「杉浦隆夫『みんな手探り』」というこれまた刺激的な展示になっていた。ぼくは、いつの間にか1人の鑑賞者から作家になってしまい、おまけにこのようなエッセイを書いている。それに伴って、鑑賞の方法もずいぶん変わってきた。美術館巡りをし始めた頃、さわることがすべてだった。しかし、さわれないものも世の中にたくさんあることを実感し、言葉による鑑賞も試みるようになった。なんでもさわれればいいという時代は終わった。さわるだけの企画展は、姿を消していった。

「美術の中のかたち」は、さわるということだけに突出した企画ではないだろう。だからこそ毎年継続されてきたと思う。さわるという感覚が、五感の1つとしてあたりまえに評価され、アートにおいてもそれなりの役割を果たしてほしい。もちろん、美術から遠ざけられてきた障害者に配慮した展覧会であり続けてほしいのはいうまでもない。

最後に、今回の展示の感想を書いてこの文章を終わりにしたい。
さわる企画なので、受付で腕時計や、指輪などを外すように言われるのはあたりまえだが、今年は、ウエストポーチやポケットの中のもの、携帯などもすべて受付に預け、さらに、ポケットにガムテープで目張りをするという厳重な準備が必要なのである。なぜなら、スチロールの粒が服の中に入り込まないように、あるいは、持ち物をプールの中に落としてしまわないようにするためだ。

緩やかなスロープを上り、折り返して下りのスロープを行くと、途中から、水ではなくて、発泡スチロールの粒状の球体がさわさわと足下から増加してくる。発泡スチロールのプールに入るのだ。普通の水のプールでは、見えていないと水の動きが分からない。ところが、このつぶつぶのプールでは、普段は感じられない水の動きがぼくにも分かる。進む前方のつぶつぶが盛り上がり、背後のつぶつぶが低くなっていくのがさわって分かるのだ。水の動きも瞬時にはこういう風に見えるのだろうか。

暫く行くと、ブロンズの作品が沈んでいる。どれもさわったことがあるものばかりだ。知るが故のつらさ。ぼくがワクワクするために、財政難ではありましょうが、新しい作品を所蔵してください!!とつぶやいてみた。

そんなことを言っているどころではない。新しい発見があった。ぼくが描いたフォートリエの『トルソ』は、つぶつぶに包まれて、すごくやさしい作品になっていた。ムーアの『母子像』や、関根伸夫の『メビウスの環』などは、その空間の部分、つまり腕と体幹の間や、環の中につぶつぶが充満していて、その空間を意識することができた。

普通にさわっていると、空間にはなにもないので、その存在感は伝わってこない。見えていると、抜けている部分の印象が、ハッキリ意識されるのだろうが、さわっていると、手が素通りして次の部分に飛んでいく。空間の認識があいまいになる。手の滑りをつぶつぶが遮ってくれると、意識を空間にとどめてくれる。

おもしろい!!もしかしたら造形の空間認識を新しいやり方で試してみられそうな気がしてきた。つぶつぶはなくても、ゆっくり手を動かしてみたら、空間を認識できるかもしれない。

(みつしま・たかゆき/美術家)
1954年京都市生まれ。先天性緑内障のため、10歳の頃に視力を失う。
1995年頃から「さわる絵画」の制作を開始し、国内外の美術館、ギャラリーで多数の展覧会を開催している。

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2004年6月 4日 (金曜日)

今年の後半

 今年前半は、比較的ゆっくりしたペースで展覧会をこなしてきた。しかし、やっぱり夏が忙しくなってきた。
どんなふうにこなしていくのかを考えながら、予定を整理してみた。なお、あえて詳しい日程や、企画店名は明らかにしていない。まだ正式発表ではないことでもあり、変更もありうるからだ。詳細を企画者に問い合わせることは、ご遠慮ください。決まり次第、ぼくのページで紹介します。

7月後半から8月に掛けてて山梨県立美術館でのワークショップと出展。森がテーマなので、少し大きい作品を作る予定。ワークショップも2本予定されているが、そのうち1つは、子ども対象だ。

 8月後半に京都のニュートロンでのグループ展に出品。ドローイングがテーマの企画なので、ラインテープをいかした作品を作る。これもかなり大きなものになる予定。幅1.2メートル、長さ7メートルぐらいののアクリルシートに描いて、高さ4メートルぐらいの壁の上の方から斜めに吊して、たわみを持たした展示にしたい。

 同じく、8月後半に、千葉の船橋市民ギャラリーでグループ展。昨年春に、クリエーティブ・グロースで滞在制作をしてからもう1年以上。サンフランシスコでもらったパワーで描いた作品を中心に出展。アクリルの10号ぐらいのものと、漢字シリーズが中心になるだろう。新作『竹のリズム2004』も出品予定。

 9月後半に京都の「アートスペース竹屋町」で個展。11月にサンディエゴ美術館に出展する新作『 Walking in the Town by Touch - from the acupuncturist's studio』を披露する予定。
もう一つ9月に始まるのが、福井県鯖江資料館でのグループ展だ。
10ガツの連休には、岡山でのワークショップ。
そして、11月には、サンディエゴ。そのあたりで大学関係のワークショップが入る予定。

 来年1月には、リニューアルオープンするはねうさぎで、個展。この個展では、新作もさることながら、触覚と視覚をテーマにしたコラボレーションを予定している。
この他に、いくつか未確定のものがある。作家は、誰でもそうなのか、ぼくだけがそうなのかわからないが、出品依頼があるとうれしくなってつい引き受けたくなるようだ。しかし、あまり引き受けすぎて、無責任な出品にならないように気を付けたい。

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2004年1月25日 (日曜日)

1年を振り返る (1)

 いま、手元に2つの賞状がある。
1枚は、英文で書かれているサンフランシスコの市長からの表彰状。
もう1枚は、和紙に飾られた兵庫県立美術館長からの感謝状
 さて、どちらがぼくにとって価値あるものなのか。
それはハッキリしている。

昨年の9月、サンフランシスコの Eleonore Austerer Gallery で個展をした
ときに、オープニングレセプションでもらった表彰状は、いまだになぜもらった
のかその理由がわからないからだ。
「あなたは、その道を極め、日米友好に寄与した」というようなことが書いてあ
るらしい。
しかし、ぼくは、市長にも会っていないし、作品を見てもらった覚えもない。
先頃、送り返されてきたサンフランシスコからの荷物の中には、なぜか市長にプ
レゼントしたはずの作品が入っていた。
いったいあのレセプションはなんだったんだろう。
言葉の壁とか、行き違い以上の、なにかアートに対する価値観の違いのようなも
のがあったように思う。

 一方、兵庫県美の感謝状は、
『光のぬくもりを感じて』という作品を寄贈いただきありがとう、というものだ。
新聞や雑誌などでも取り上げてもらった展覧会だし、企画をしてくれた学芸員の
服部さんともかなりのやりとりをさせてもらって、実現した展覧会だったので、
思い入れもひとしおだ。作品の新しい展開にも繋がる有意義な展覧会だった。
従ってこの2つの紙切れは、明らかに重みが違う。

昨年は、かなり展覧会をこなした。
展覧会に出品しただけで、12回。
もちろんそれらの中には、グループ展で2、3点出したのもあれば、学芸員にお
任せのものもあれば、現地制作までしてかなり入れ込んだものもある。
兵庫県美で始まり、ウッドノートで終わった1年だった。

それ以外に、ワークショップや講演が13回ある。
年に25回もなんらかのかたちで、人前で表現の場を持っているといろんな経験をするものだ。
こんなところでやっていいのかなあと思いながら、出品した展覧会。
不安に思いながらも、終わってみたら納得していた展覧会。
おもしろそうな人から頼まれたので、ついその気になって引き受けたもの。
どうしても判断できず、お断りしたもの。
いろんなことがあった。

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